善知識

という仏教の用語があります。


これは、「善き友」「真の友人」、

仏教の正しい道理を教え、利益を与えて

導いてくれる人を指します。


前々回触れました『益友』と重なります。

「善友」とも訳されるますから。


『人生が変わる』




こんなキャッチフレーズをよく聞かれますが、

その大多数はキャリアアップしたとか、 

収入があがったとか

『外側』の環境が改善されたことを指します。

たしかに重要な要素ですが、

真に人生が変わったと言えるには


『心のクセ』に

   次元変化が起きたとき


ではないかと、みうらは思います。


同じ出来事に接しても

「以前はこうだったけれど何か見方が変わった」

と思わず感じたときがありますね。

とても自然に。

多分に経験が変化を起こしたのでしょうか。


しかし、冒頭の

『善知識』『益友』となりますと、

自然に任せるのではなくて、

『自助努力』へ

『奮い立たせる存在』

である点が特徴です。


人は生まれてから受ける

無数の刺激と資質がコラボして

『定まった』価値観を作り上げます。


その集大成が『書き文字』なのですが、

深層心理の反映でもあるので

『急激』な変化を望めません。


バスのつり革を持って立っていて

ブレーキがかかると

『立ち位置』を基点に体が傾く

『慣性の法則』のように

今の地点に『留まろう』とするのが人の常です。


『書き文字』も

今、あなたが書かれている『文字』は

あなたの慣性の基点なので

『変える』ことは実際、至難の業です。


たとえば、以前ご紹介しましたが、

『鑑真和上』の『大』の文字を真似て書いても、

その時違和感を感じるかもしれません。





その時、『真似て』書いても

時を移せば自然に書く『大』の文字は

鑑真和上のそれとは

全く異なるものとなっていることでしょう。


なぜそうなるかと云えば

あなたと鑑真和上の『心のクセ』が違うから

なんです。


それぞれの

『心地よさ(コンフォートゾーン)が違うからです。


つまり、人は慣れないことは

したくない。


ですからほとんどの人は

『心のクセ』を変えることなく、

一生を過ごしていきます。


『いじめ対策プロジェクト』と言って 

有知識者が精緻に盛り込んだ内容があります。

とても濃い内容なものが多いのですが、

みうらは一つ提言します。


『一人ひとりの心のクセを

 明らかにしないと

 根本的解決にはならない』


ということを。


誰かに危害を加える、 

閉鎖的で自己中心的な人間に

正論を促しても馬耳東風です。


『機会』が整えば

必ず同じことを繰り返します。


だから
いつまでも世間から

『イジメ』が無くならないのです。


では『変わることが出来ないのか』となりますが、

変化への起爆剤になるのが『善知識』なんです。


今現在の文字が『どうなっているのか』。

この現実と向き合ったとき、


あぁ、何とかしなくちゃいけない、


と強く思わせるほどの

出来事、出合いを得て、


精神の感動


を得たとき 

文字を『相応』のものに変えようと

努力し始めることができます。





そしてそれが『自助努力』で

人生を変えるということです。


その努力をいつも見守ってくれるのが

『善知識』『益友』になる。 


外側の環境変化にばかり意識を向けているうち

「内側は何も変わらないこと」に氣付く。

善知識を得ないことは

いつ、開くか予想出来ない

玉手箱をいつも抱える人生

と言えるかもしれません。 




今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。