人は精神的な満足を常に
『最優先』
するものです。
自分に対して『賛成』と言われることを選びます。
『忖度』と言われて
どこか自分らしさを失って
消極的なように見えていても
その実は
「自分だけ勝手なことをして目立ちたくない」
という精神の満足がそうさせるものです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240521/19/shinshun7822/c3/29/j/o1080072015441677457.jpg?caw=800)
その選択をする自分に賛成したいのですね。
一見、矛盾な行動のようでも
根本にあるのは
『精神的な満足』が
第一なのです。
それは自分でいつも自覚しているものもあれば、
長い間潜在化している場合があります。
見えない意識が見える世界で
現象化する関係です。
だから、自分は
「どういうところで精神が満足するのか」
損得勘定抜きに、合理非合理関係なく、
選択するのはどんなところなのか、
あらかじめ知っていた方が良いでしょう。
さもないと外側からのチョットした刺激が
『精神的衝動』をうながし爆発しかねません。
前回ご紹介した、
植木等さんの『書き文字のお見立て』内容は
言い換えれば、
植木さんの精神的満足エリアを示すものと言えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240521/19/shinshun7822/bc/5d/j/o1080071115441677460.jpg?caw=800)
あらかじめ知っておけば
人生の『羅針盤』となります。
精神的満足をつまり、
心の平和、精神の鎮静を
人は生涯求めて生きていきます。
そしてその意味では
瞬間瞬間で
人は『自分らしく生きている』ことに
間違いありません。
ただ『新たな刺激』によって
満足(興味の所在)は変わっても
『氣質』は不変なのです。
そのマネジメントは忘れずにしておくべきでしょう。
今回も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。