明日18日、仙台では

青葉まつりが催行されます。

目抜き通りを武者行列、山車などが練り歩く

時代まつりです。  

『まつり』は人の心を高揚させます。

刺激し興奮させます。 


しかし、どうでしょうか。

『幸福感』は得ますか?


どうしても一過性の印象が拭えません。


『祭りのあと』というコトバがあるように 

見世物が大きければ大きいほど祭りのあと、

の寂しさは深いものです。



そもそも『祭り』とは何でしょうか。

祭の象意だけで云いますと

神聖なものをいただくこと。


つまり、

超自然的存在に対する拝礼が

基本にあります。 


そこには『感謝』があり、

『祈り』があります。

『幸福感』に浸る人が存在します。



目には見えないけれど、超自然的なものが

『存在』するという『思い』の先にあるのが

祭です。


ところが人は

『内なる神さま』の存在には没交渉の場合が多い。

いつも『外側』に神さまを設定します。


ということで…


自分の中の神さまへ語りかけてはいかがですか?


毎日が『まつり』となるはずです。


ここで持つ思いはただ一つです。 


『私には私を必要とする何か、誰かがいる。

 その必要に応えるべく、存在している』 


この一言です。


 実にシンプルですが、

人は『必要とされている』実感がある限り

幸福感を持続できます。


夫婦関係、職場関係などあらゆる人間社会で

基軸になります。 


『私は私を必要とする何か、

 誰かのために応えるべく、存在しています。

 ありがとうございます。』


このアファメーション(祝詞)が 

あなたの『まつり』となります。


現状が萎縮して、自信喪失氣味ですと、


"そんなこと言ったって…"と


思われるかもしれません。


しかし、あなたを必要とすることに

応じた行動は『天』も味方するはず。




受けた方へ『灯火』をもたらすのですから。


今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。