こんにちは。 

素適な生き型発明塾 

書き文字探偵のみうらきょうじ です。 


小雨混じりの昨日とは打って変わって、 

本日の仙台は春の陽光に包まれています。 


 正に『春爛漫』 


桜も満開に咲き誇り  

季節の移ろいを感じさせます。 



桜と云えば『お花見』。 

このお花見。

その由来は秋の収穫を先取りして祝うためのもの。 

いわゆる『予祝』の行事だったらしい。


『予祝』ならずとも 

桜の花は思わず手を合わせたくなるほど 

淡く寛容に富んだ色をしています。 


さて、手を合わせる『合掌』の行為は

祈りを象徴しますが、 

どこか複雑に絡み合った

心のノイズを取り除いてくれる

『型』にも見えてきます。 

「いただきます」と手を合わせる行為も 

種々雑多な活動にともなうノイズとの結界を 

意識させるものです。 


『合掌』の意味についての

最もポピュラーな解説は  


『右手は仏、左手は衆生(自分)』 

『右手は清淨さ、左手は穢(けが)れ』 


となっています。 


 さて、ここまでは皆様もお分かりのことですが 

大切なのはこれからです。 


果たして『合掌』の手を解いたら 

 何が書いてあるのでしょう。 


仏と衆生 

清淨と穢れ 


 が合体したらどうなっているか。 


それを教えてくれるのが 

『書き文字』と書き文字探偵としての筆者は

考えています。 


 『書き文字』は合掌の合体状況と観ます。 


 仏と衆生清淨と穢れは陰陽で括られます。 

 書き文字とはその中に 


仏と衆生、

清淨と穢れが 合体しているもの。 


いや、正確に云いますと

心持ちが型を決める。

陽か陰か。

仏か衆生か。

清淨か穢れか、どちらかの『型』となります。


 だから文字は巧拙よりも 

文字には書き手が有する  

陰陽どちらにウエイトが置かれているかを  

チェックすることが大切なんです。 


 一つ筆跡にも『陰陽』がある。 


 陽光のようにはつらつさが出るとき

粗暴さとして出るとき。 


 堅実さとして信用を得るときもあれば、

必要なときに必要な行動を躊躇するときもある。 


 臨機応変もあれば早合点になりこともある。 


 最後までやり抜く強さもあれば 

執着心の強く出るときもある等々……。 


 書き文字は陰陽行動の有り様を示す

リアルタイムの『存在証明』でもあります。 


言い換えれば『いのち』そのもの。 

『いのちの合掌状態』です。 


 『どういうつもりで生きているか』で

書き文字の意味合いは変わってきます。 


心地静かにご自身の書き文字を見直しませんか。 


さてあなたの

合掌を解いたら何が書いてあるでしょうか。



 今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございました。