こんにちは。
素適な生き型再生の
みうらきょうじ です。

前回お見せした
『大』
の文字書いてみましたか?



書かれた方はどんな感想
をお待ちでしょうか。
ご感想等いただければ嬉しいです。

さて、この『大』の書き主は誰?

ということになります。

答えは

鑑真和上です。

鑑真和上 出典 Wikipedia

鑑真については歴史の授業で
皆さんご周知のことだろうと思います。

日本に仏教の戒律を教えるため
5回、渡航に失敗し失明した後、
6回目にして渡日し
使命を果たした高僧です。

この不屈の精神を持った鑑真の
『書』がこの『大』なのです。

あきらめない人は
このような文字を書くという
サンプルです。

今回はこの不屈さについて
文字を解剖して説明したいところですが
『そもそも』鑑真が
わざわざ日本にやって来たきっかけに
『素適な生き型』
を推奨する要素があるので
その点についてお話したいとおもいます。  

鑑真は『戒律』を教えるために日本に来た、 
と申しましたがこの『戒律』とは何でしょうか。

平たく言いますと
『基本の型』
です。

奈良時代の初頭、寺と僧は増えた一方、
実際、僧たちは勝手な仏教の解釈をしていて、
自分に都合の良い過ごし方をしていました。

これじゃいかん、ということで
『正統仏教』
をキチンと教えてくれる僧
を唐から派遣してもらおうと思ったわけです。



(今でもある光景です。
 正統なトレーニングではなく
 自己流ですすめ、亜流になってしまうことが。)

派遣されたのは栄叡(ようえい)という僧でした。

苦労の末、唐に渡り適切な僧さがしに奔走します。
栄叡は『本物の仏法』を日本に
伝授されることこそ国が安んじることだ、
との信念で活動します。

そして『鑑真』の居る寺
が第一だとの評価を得て 
鑑真と会うことを希望しますが、
鑑真は唐の高僧。
簡単には会えません。

結局、鑑真と会うまで9年を要します。

栄叡の熱意に共鳴した
鑑真は日本へ渡る者
の希望を募りますが
命を賭してまで誰も日本に
行こうとしません。

そこで鑑真が
『それならば私が行く』
ということになったわけです。

本物を伝えたい

この熱意で鑑真に要請した
栄叡は5回目の渡航失敗後
唐で、亡くなりますが
鑑真はその遺志を受け継ぐように渡日します。

通算20年を要した上での成就です。

『素適な生き型』
とは戒律と同じニュアンスを持ちます。

戒律を違った言い方にすると『真の生き方』
を示します。

世間一般の鏡に叶う生き方
ではなく
宿命の鏡に叶う生き方
です。

しかし、わたしたちの日常は
宿命というカスタマイズされた生き方ではなく
世間一般が決めた
『心地よさ』
というスタンダードの中で
生きることが強いられます。

そして『素適な生き型』
は一般的には地味なので
興味が湧きにくい代物です。

しかし、一流のアスリート
には一流のコーチが存在します。
一流のコーチに共通するのは
基本の徹底です。

人生の基本こそ
『素適な生き型』
を知り、沿う生き方でしょう。

子どもにとって人生最初の
コーチは誰か?

それは親です。



鑑真

という名前には
一流コーチのそして
親のあるべきマインドセット
が隠されています。

(子どもの)真の姿を見きわめる人。

鑑真の『伝え、与えよう』
という熱意は
決して色褪せることはありません。

親もまた
「この子の宿命を活かしていこう」
鑑真のマインドを持ちたいものです。

今回も最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。