あれこれ振り向かない
人生を送るための
『素適な生き型発見塾』
みうらきょうじ です。

前回からの続きです。

天才建築家 
フランク・ロイド・ライト
が帝國ホテル設計に携わること
になったのは

林 愛作

の存在があります。


林 愛作
出典Wikipedia

本稿では
『帝國ホテル誕生物語』よりも
林 愛作という人間の歩みを通じて
『生き型』にブレない姿勢が生み出す
人間関係性をお話して参ります。

林 愛作はとにかく
人に好かれる人物だったようです。
それは彼の歩みが証明します。

彼は群馬県のある豊かな農家に生まれました。
生来優秀で村一番の秀才と言われたものの
父親の投機失敗により一家離散、
愛作は横浜でタバコ問屋を営む遠縁
に奉公に出されます。

12歳ころから働き始め、
その間、海外雄飛を夢見、英語を学びます。
19歳のとき
或るタバコ製造で成功した富豪から
働く態度を見込まれアメリカ同行を求められます。

愛作はアメリカ各地を回り
留学のビザも取得してもらい
アメリカに残ります。

しかし、後見人なしでは就学が難しく、
日本人の経営する雑貨店で勤めはじめます。

そこでも陰日向なく真面目に
仕事に従事していると、
或る老婦人に見込まれ
学校の入学手続きまでしてもらいます。

学校を出て就職先を探すも
見つからないところ
今度はアメリカ人の友人を持ち明るい雰囲氣から
日本美術品販売のニューヨーク店に就職します。




愛作はアメリカ問わず
ヨーロッパの上流階級
との付き合いから多くのビジネスを成功させます。

その店に来店したのが
ライトであり交友がはじまります。

ボストン美術館の東洋美術の部長だった
フェノロサとも知己を得ます。
フェノロサは仏教徒でしたので亡くなった後、
愛作はフェノロサの遺言により遺骨を
大津に埋葬しています。

そんな折り帝國ホテルでは
三代続いた外国人支配人が力量不足で赤字続き。
日本の顔、玄関である帝國ホテルの支配人には
世界の上流階級と交友のある日本人
が必要と愛作がヘッドハンティングされます。

話をしたのが
今年お札になる
澁澤榮一です。


✦お札サンプル 出典Wikipedia

そして帝國ホテル就任。
しばらくおいて
ライトの設計が始まります。

ここまでの経緯をご覧になってお氣付きかとは思いますが

名誉、評価のない無名の愛作が求められていることです。

しかし、その熱源は愛作にあります。
どんな境遇であっても自らの役割りプラスアルファの仕事をする『一途さ』がありました。
その『一途さ』が
愛作の内側から光のようなものが発し、支援した人には燦然と光って見えたのでしょう。

林 愛作の人生は
周りから
認められ支援される 

『求められた人生』

だったかもしれません。

帝國ホテル
は当初の予算を遥かに超過し、
経営陣から批判を受けている中、当時の本館が火災となり死者も出たことから愛作はその責任を取り辞職。

ライトも完成間近で事実上のクビ。

ライトの一番弟子
遠藤新(あらた)
が引継ぎ完成させます。

取り壊される前のライト館 出典Wikipedia

東武ワールドスクウェアで公開されているライト設計帝國ホテルのミニチュア 出典Wikipedia

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このように書くと
何かの尻切れトンボのような
感じですが
帝國ホテルの場合
ほどほどのもの
だったら工期も予算も
大幅に削減することができたことでしょう。

でも愛作は
未来にまで残る
日本人の誇りとなるもの
を作るために
天才ライトを選び、信じ 
ホテル作りに挑みました。

愛作にとってみればこれも
若いときから培ってきた
『一途さ』
さから発する
自己信頼の光
を放ったものであったと筆者は思います。


さて、林愛作を『お名前見立て』
で観ると、このようなものです。

何事も自ら進んで物事を即実行する人
でえり好みせず、
予断を挟めないで時々の状況に相応しい対応
をしていく人。

外からの刺激に敏感で束縛を嫌い、
変わったこと、珍しいことに興味を持ち、
真似事はせず独自の考えを貫き
新しいものを創り出そうとする開拓精神の人。

雰囲氣は明るく、きらびやかで、
楽しい感じを漂わせる人。




最後までお読みいただきまして
ありがとうございました。