自分に見合った人生ステージがない。
ならば自分で切り拓いてきた先人が居ます。
その方々の人生をたどってみます。
今日は
日本女医第1号
荻野吟子さん(1851~1913)
の2回目です。
前回は医師への志を立てたところまででした。
今でも医師になることは大変なことです。
ましてや女性で時代は明治3年のころ。
廃藩置県も施行されていない
江戸からの過渡期のころ。
女性が『医師』になるシステムなどない時代に医師を志すことは夢を超えた無謀なことでした。
いかに優秀な荻野さんが医学を学びたいと言っても『どうぞご入学してください。』という社会体制ではありません。
荻野さんは『どこか塾に入り優秀な成績を収めればそこで取り立てられ医師になるための学校入学への道が開けるのではないか』と国学の塾に入り頭角を顕しますが、そこの塾長から結婚を迫られるなど目的阻害の環境と判断して退塾。
その後別の私塾で教師になり、東京女子師範という女子専門の学校が開校されたと聞けばそこで優秀であれば入学を認めるだろうと、数え25歳で入学。
29歳首席で卒業します。
『これでどこか医学校へ入学できるだろう』と期待するも『女子は拒絶』の壁は変わらない。
でもそんな事態から少しでも壁を突き破りたい。
当時軍医監であった石黒子爵へ女医の必要性を直訴、ようやく『私立好寿院』へ入学、医学の勉強が始まります。入学後いじめや中傷を受けながらも『志』を全うするため勉学に励み卒業します。
つぎは国家試験を受けるだけです。当時は『医術開業試験』として前期・後期と2回に分けて試験をしていましたのでそれを受験するのみです。
あとは合格するだけ。
しかしまだ山あり谷あり。
続きは次回です。
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