昭和30年代の新世界、子供会の写真を見て思うこと☆ | 「新世界」の情報ブログ

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下の写真は、うちの家にあったものです。
昭和30年代の写真と思われます。

新世界の街中で子供達がラジオ体操をしている光景です。

この場所がどこか解る人は、昔から新世界に馴染みがある方でしょう。

おそらく、ジャンジャン横丁を北側に出たあたりの風景です。

当時、ジャンジャン横丁の北入口にパチンコ屋さんがありました。

自転車預かり、手荷物預かりのお店もありました。

時代を反映する写真ですね。



現在の写真なら、居酒屋『春』、『丸徳』、喫茶タマイチ付近でしょう。




昭和30年代、新世界に子供会があったそうで、子供達のために学習会や早起き会などが行われていたようです。

上記のラジオ体操も子供会の活動の一環だったそうです。




下の写真、右は私の亡父です。


父が若かりし頃、子供会の指導員をしていたそうで、ある地元の人が、近藤さんのお父さんに勉強を教えてもらったことがあるという話を聞いたり、その人は、父のことを近藤先生と言ってました。




現在は少子化で、校区の小学校、中学校も合併している状況ですが、昭和30年代は、多くの子供達が新世界で生まれ、成長していく場でした。


居酒屋、飲食店や商店、娯楽店、映画館などが並び、それらのお店の奥や2階が住居になり、新世界はお店を営む場でもあり、生活する場でもありました。


現在では、テナントで入るお店が増え、昔とは街の雰囲気も変わりました。


これらの写真を見て思うことは、新世界は娯楽施設やテーマパークではなく、"まち"だということです。


当時の人達が築いてきた歴史や伝統があり、それが今の新世界の礎にもなっています。


年々、地元の人が少なくなり、地元の人達が高齢化する傾向がある新世界ですが、私にとってこれらの写真は、地域住民の繋がりを見つめ直すきっかけになっています。


何気なく見ていた写真ですが、"新世界で生まれ、新世界で住む"という意味を考えさせられる、今となっては貴重な写真になりました。




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