昭和28年頃の写真、パチンコ 三共会館。
当時、新世界の中では大きなパチンコ店ができたと言われていたそうです。
もちろん、手打ち式のパチンコ、立ってパチンコをする、パチンコ機が並ぶ島の中には人が入っていて玉を運んでいた時代です。
実は、私の祖父が創業したパチンコ店でした。
私の祖父は、昭和の初め頃に大阪に出てきて、今のミナミで商売を始めようか、新世界にしようか悩んだそうですが、当時、ミナミはまだまだ未開発で、新世界は賑わいがあり、新世界で商売を始めようということになったそうです。
パチンコ店を始める前には、この場所で飲食店をしていたそうですが、当時、庶民の娯楽として人気が出てきたパチンコ店に切り変えたそうです。
その後、ビルを建て替え、1階にはパチンコ ニュー三共、2階には麻雀店ができました。
大阪で最後まで手打ち式パチンコ機があった店として、チューリップ台が中心の店として、全国的に有名になってましたが、大阪でいちばん小さいパチンコ店でもありました。
現在、このビルには、串かつ「だるま」動物園前店が入っています。
この半世紀、新世界の変貌を一言で言うと、庶民の街、中高年のおじさんが気軽に飲んで遊べる街から、通天閣や串かつ、ビリケンなどの名物が揃った大阪を代表する観光エリアになりました。
また、昔のガラが悪い街というイメージは薄れ、新世界には多くの若い世代の人たちが働くようになり、活気ある賑やかな街になってきました。
若い世代の人たちが活躍できる街になってきたことは嬉しく思います。
一方、新世界で生まれ育った私にとっての原点は、祖父が創った三共会館であり、どんなに街が変わろうと、その歴史はこれからも大切にしていきたいと思います。
街の変貌、世代交代、そして歴史、これらがうまく絡まりながら、新世界がますます発展することを願っています。
★Twitter@shinsekaizyoho
「愉快・痛快・新世界情報」では、新世界のイベント情報や最新情報を発信しています。
※ 当blog掲載の写真・動画等、無断での複写(コピー)及び、コンテンツの転載転出を禁じます。