人間は他の動物とは異なり、その存在が成熟するには相当な年月がかかります。動物はせいぜい3年でその種の成熟を迎えることがありますが、人間にとっては3年では到底人間と呼べません。

内臓や骨の形態はおおよそ7年で完成しますが、その後も内臓は形態を保ちつつ成長し、特に肝臓の機能性は更なる年月が必要であり、18歳頃になるとようやく完成します。骨に至っては、生まれた時には約360個存在し、必要な分だけが繋がりを保ちつつ成長し、21歳頃には約200個にまで完成します。肉体的な面で見ると、人間の成熟には21年もの歳月がかかります。

しかしながら、人間は物質身体の完成後も成長し続けます。それは精神の成長であり、高度な精神機能が発展します。一方で、物質身体は30歳半ばを過ぎると徐々に衰えていきます。20数年かけて発展した骨も足元から衰え始めます。今の時代、精神の発展はルネサンス以降から始まり、一つの折り返し地点を迎えつつあります。

知的活動は物質身体を食い荒らしながらその領域を広げ、各個人の自我を集団自我から解放し、バラバラにしてきました。この分裂した個的自我は身体にも影響を及ぼしています。個的自我は自由になりましたが、その代償として身体の統一性を喪失してしまったのです。

これからは、思考活動を知的活動からイメージを有機化できるほど深めていくことが求められます。この深化は、これまでの知的活動の延長線上にあるというより、全く別の路線に移行することを意味します。それは知的活動によって目覚めた個としての意識のまま、睡眠状態に入る際のような状態を指します。目覚めた意識を消そうとするのではなく、目覚めた意識のまま夢を見るような状態です。

このような状態になることで脳の中の雰囲気が変わり、イマジネーションが単なる想像を超えて身体に有機的な作用力をもたらすことができます。それにより、従来働きかけが難しかったバラバラな身体に対して働きかけが可能となり、失った統一性を取り戻すことができるのです。

型文化は、伝統や形式を通じて身体と精神を高め、集中力や調和を促進し、衝突しない身体形成を目指します。これに新たな時代精神を組み合わせることで、家元制度的な標準化された技能のコピーと免許皆伝などの管理手法から抜け出し、もっと自由な雰囲気によって、個的自我の再構築と身体の統一性を取り戻す手段となります。型文化を通してイメージの有機化を深めることによって、新しい意識の目覚めや脳の状態の変化をもたらす可能性があります。これによって、過去に難しかったバラバラになった身体部分への働きかけが可能となり、失われた統一性が回復されるでしょう。この意味で、日本の型文化は精神的な進化に新しい可能性を切り開き、唯物思考や唯心思考に絡み取られない身体知性を開く重要な手段となり得るのです。