サンチンの型は、形状そのものが内部感覚の表現であり、
そしてその形状そのものに力の源泉があります。
形状が力の源泉になるには、形に生命力を持たせなければなりません。
それには思考の強化が必要になります。
この場合の思考の強化とは、イメージの有機化です。
有機化されたイメージは、単なる視覚的なイメージではなく、
生体反応を伴うものです。
たとえば、レモンをイメージすれば酸っぱさを感じ、
幼いころの記憶を思い出すと身体が温かくなるように、
それは生命力を持ったイメージのことです。これを有機的イメージと呼びます。
型稽古の目的は、繰り返し、繰り返し型が要求する形状を保持しながら動くことで、
型を身体の記憶像にし、生きた、生命力をもったものにすることにあります。
そうなってはじめて型はその人自身の命が吹き込まれ、生きたものになり、
技をかけることが可能になります。
型で技をかけるとは型の動きを考えながら技をかけることではありません。
それは単なる型のパターン練習にすぎません。
そうなると型に縛られてしまい、通常の筋力的な力になってしまいます。
それは浸透する力ではなく、ぶつかる力です。
型は忘れることによって、有機的イメージ身体という「透明な身体」になるのです。
型で技をかけるとはこの「透明な身体」によってかけるのです。
それは決して怪しげな、不可思議なことではなく、限りなくリアリティのある身体感覚をともなったものなのです。
型は忘れるためにあり、この忘却の恵みにこそ、型稽古の意義があります。
身体の記憶像にまで高められた型は、はじめて忘れることができます。
しかし、忘れたとしても、それは
内的に解放され、生命力をもった現実的な作用力として生き続けるのです。