心法書道の慧竹です。
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何のために書道をやっているのかわからなくなった私が、あれよあれよという間に、導かれた書道留学。不思議な先生の不思議なレッスンは、その問いに対するドストライクな答えだった。書の学び方に悩んでいる方に、読んでいただきたい体当たりの体験記です。
(文中の短歌は母が詠んでくれたものです)
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先生が入ってきて、我々三人が一同に起立し、挨拶を交わした。まず邵さんが先生に李さんを紹介し、李さんは名刺を渡して、私のほうを見ながら何か少し話した。その後、先生は私たち三人に名刺をくれた。
先生の名前は中国へ行く前に、李さんから聞いて知っていたが、その名刺を見てびっくりした。沈鼎人という名前の左肩には、たくさんの肩書きがあった。こんな立場の人が、私の先生になってくれるのかと不思議なめぐりあわせに、自分のことのような気がしなかった。
私はピンイン(中国語の漢字の読み方で、日本語でいうと漢字のふりがなみたいなものだ。ただ、中国語には声調がある)をカタカナ読みに直して準備していた自己紹介を、北京へ来る飛行機の中、一人最後の暗唱に精を出したはずだった。名前と日本から来たことだけを伝えると頭が真っ白になり、それから先がどうしても思い出せない。
沈先生は大丈夫だよと言うように、穏やかな笑顔を浮かべ私をみつめていた。先生を待っている間、部屋を観察する前にもう一度おさらいしておくべきだったことを後悔しても遅く、李さんが助け舟を出してくれて、我々三人緊張の面持ちで話が進められた。
緊張の中、さらに私の観察は続いた。椅子に腰かけ、ふっとゴールドの椅子に目をやると、窓際に並んだ土器類のものが、その椅子の後ろの棚にもぎっしりと並べられていた。
先生は首から香水のビンのようなおかしなものをぶら下げていて、一体それが何なのか非常に気になった。
先生に関していえば、何より不思議な気持ちにさせていたのは、先生と話しているとき、目が合っているはずなのに合っていないような、私の心の中をみられているような気さえするその視線だった。
その眼は、どう表現すればいいだろう・・・けっして険しいわけではないのだが、ここにいるのにいないような解脱した人の眼のようで、ある意味ちょっと怖かった。実際、解脱した人を見たこともないので勝手な想像だが、きっと似たような眼をしていそうな気がした。
何とも言いようがないが、しかし穏やかすぎるくらい穏やかな視線なのだ。少なくともそれまで自分が出会ってきた人とは違う目をしていた。
とにかく、先生の独特な雰囲気と、その部屋を包んでいる雰囲気とはうまく調和していたが、どうも私だけ場違いな気がして不思議な心境だった。
日本から持ってきた書をみせるように言われ、数枚の紙の束を差し出した。先生は一枚一枚捲りながらしばらくじっとながめて、おもむろにこう言った。
「形をとらえることはできているけれど、あなたは書きすぎている」
李さんの通訳で少し遅れて先生の言葉を理解できるわけだが、私は驚いた。前の先生には、うれしいとき、悲しいとき、どんなときでもとにかく書くことが大切だと教えられたし、私もそれを信じて疑わなかった。
実際毎日とにかくひたすら書いていたのだ。しかしこれも今思えば私の解釈が間違っていた。ただひたすら書くという意味ではなかったのだ。
つづく
『中国書道留学記』 大西智子著 1,100円(税抜き)
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shinposhodo@gmail.com
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松尾川温泉 in 徳島