心法書道の慧竹です。

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何のために書道をやっているのかわからなくなった私が、あれよあれよという間に、導かれた書道留学。不思議な先生の不思議なレッスンは、その問いに対するドストライクな答えだった。書の学び方に悩んでいる方に、読んでいただきたい体当たりの体験記です。

(文中の短歌は母が詠んでくれたものです)

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出会い

 

 我が文化 あなたの国より渡り来て 娘(こ)は親しめり 墨の濃淡

 

 1999年の2月末、私は単身中国へ留学した。私は当時まで、トータルすると十年ほど書道を習っていて、振り返ってみると結局三人の先生について習ったことになる。十年といっても、お習字の域をでるかでないかくらいのレベルだ。もし書道をやっていなかったら、一生中国へ行くことはなかったかもしれない。

 書道というと、習ったことのない人にとっては、どうも敷居が高くてわかりにくい世界かもしれない。一応、その世界に身を置いていた私でも知らないことだらけだったのだから当然だと思う。

 留学前、私は一人の先生にめぐりあい、書に没頭する日々だった。あることをきっかけに、私は信頼を寄せていたその先生の信用を失い、その教室をやめた。書に対して情熱的な先生に憧れに近いものを抱いていた私は、そのショックからもうどこかの団体に所属するのはやめようと決めていた。

 

 そんなある日、友人に誘われ、彼女の通う陶芸教室に一緒に遊びに行った。ちょうどその日、そこへ七宝焼の先生が遊びにきていた。その人は、七宝焼で日本工芸展に何度も入選するほどの人だった。私がその人に会ったのはその時が初めてだったが、気さくで懐が深く、親しみやすい人というのが第一印象だった。

 書道教室をやめることになってしまったいきさつを話すと、親身になって聞いてくれた。書道をやっている友人がいるか、その人たちはみんなどうやって勉強しているのか…あれこれそのようなことを聞いたと思う。私のように先生とうまくいかなくなって、独学で続けている人は少なくないということだった。そんな人同士が定期的に作品をみせあっているとか、独立して書道塾をやっているとか、いろいろな話を聞かせてくれた。

 唐突にその人は、

「もうこの際、本場の中国で勉強したら?」と冗談交じりに言い出した。

あっけにとられていた私に、

「中国だったら生活費は安いし、また書道の環境も違うかもしれないし…」と付け加えた。

生活費が安いという話には飛びついてしまったものの、そうはいっても言葉はできないし、第一中国へは行ったことのなかった私に、中国で生活する自分は想像できなかった。その人は、

「知り合いに中国人留学生をボランティアでお世話している友人がいるから聞いてみてあげようか?」と言ってくれた。私は半信半疑に、

「何かわかったら連絡ください」とお願いした。

 今思えば、縁があったとしか言えないが、その日からあれよあれよと一ヶ月くらい経った頃、北京で先生が見つかったという知らせを受けることになる。     

つづく

秋明菊