心法書道の慧竹です。

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「ひらがなってへんてこりんな形だよね」

「なんで「お」っていう音を「お」と書くのか、なんか変じゃない?この形。」

その問いかけに、子どもたちは固まったまま頭の上に大きな「?」マークが、、、(笑)

おもむろに一番上の生徒さんが、「たしかに、なんかふにゃふにゃしてて変ー!」と一言。

というわけで、今回はひらがなの誕生についてお話ししました。

 

日本には固有の文字がなかったといわれています。これについてはいろいろ思うところはあるのですが、今回それには触れません(笑)

 

文字がなかったとはいえ、当然話し言葉はあったわけで、中国から伝来した漢字にそのまま音をあてはめて一字一音のかな文字として使ったのが始まりです。中国からいつ漢字が伝わったのか、約2400年から1700年前と言われているそうですが、4世紀後半(弥生時代)の土器に漢字が記されているのが見つかっているそうです。

 

話を戻します。その一字一音の文字を「万葉がな」と呼びます。1つの音を表すのに数種類の漢字があてられ、全部で973文字もあったそうです。漢字を「真名(まな)」としたのに対して、仮りのものということで「仮名」といいます。

 

この「万葉がな」がどんどん簡略化され、ひらがな誕生に行きつきます。子どもたちにはこのくだりはすっ飛ばしましたが、ブログでは触れておきましょう。

 

「万葉がな」は当初楷書と行書で書かれていましたが、その後、奈良時代から平安時代にかけて、草書で書かれるようになり、形が単純化され、それと共にその数も整理されていきます。それを「草がな」と呼び、今ではそれを「変体がな」とも呼ぶようになります。

 

その後さらに字形が簡略化され、漢字を学ぶことができなかった女性が和歌や手紙を書くために用いるようになり、それを「女手(おんなで)」と呼びます。

 

つまり「草がな」は明らかに漢字の草書体ですが、のちの簡略化されたものと混在して用いられていました。そしてその使い分けや書きぶりは人それぞれ、つまり自由だったわけです。このファジーさが雅で日本的ですね。

 

明治33(1900)年、小学校施行規則によって、一音一字とし、一音にたくさんの字が使われていた「草がな」から、一字だけ選び、現代の48文字の「ひらがな」が確立します。

たくさんある漢字(草がな)から、なぜその字が選ばれたのかはわかりませんでした。一番使用頻度が高く、馴染みやすかったのだろうと察しますが、ご存知の方がいらしたらぜひ教えてください。

 

生徒さんたちの名前をひらがなにし、「昔だったらこんな字で書いてもよかったんだね」と万葉がなのリストをお渡しすると、興味津々に見入っていました。習ってない漢字がたくさんでしたね。

 

次回は、973文字から48文字の「ひらがな」に昇格した栄えある漢字が、どのように「ひらがな」に変身したのか、見ていきましょう。

 

今回の板書は、個人情報が含まれたため残念ながら公開できません。

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