今朝見た夢の話です。

ある広い講堂で、説法会に参加していました。
真ん中には、大変高齢な住職がいました。

住職は、何百人の参加者の間を静かに歩いては、話しかけていました。

ふと、僕の前に座り、
「君のバックの中身を見せてもらえるかね」
と聞かれました。

はい、と答えて中身を見せると、中には息子のレゴの車がいくつか入っていただけでした。

「息子さんはいくつだい?」と聞かれたので「もうすぐ3歳になります」と答えました。

住職は微笑んで、ゆっくりと添えるように、僕の両足を踏みました。

すると、熱いエネルギーが身体に伝わってきました。身体の芯を駆け巡る熱いエネルギー。
ぐぐぐ・・と底から湧いてくるもの。

あれはなんだったのでしょうか。

そして、住職はまた中心に戻り、腰を据え、座談を組みながら、長く長く話されました。

話が終わり、住職が腰を上げようとしたときに、うまく立てず、よろけて、尻餅をつきました。
立とうとしても、気力を全て使い切ったように立てません。

参加者は息を呑んで、誰も動けませんでした。

僕は意を決して、住職のそばに駆け寄り、肩を貸しました。
すると、同じく肩を貸した人がいました。

それはいとこでした。

同じ歳のいとこ。

「長友」という姓を色濃く受け継ぐ二人、とでもいいましょうか。

しかし、二人とも先祖の故郷を離れてくらしています。

何か意味深なものを受けとるような夢でした。

ーーー
僕はとても信心深いとは言えません。
魂を磨くことといえば、先祖代々の繋がりと比べても、まだまだ未熟なことばかり。

少しでもその精神性に近づこうと、規則正しく生きようと努力しています。

仮に、その高齢な住職が、僕の目指す精神性の象徴とするならば、肩を支えようと駆け寄るほどには近づけているのでしょうか。

そして、一人では支えきれないものは、親族一人一人に違った形や生き方で、協力しあうものがあるのかもしれません。

バックの中身には、息子のおもちゃしかなかったこと。
逆に、それだけで十分だと言うことかもしれません。

不思議な夢でした。

この記事を書いているときに、妻から、「ルイがパパに呼ばれたよ!と言ってる」メールがきました。

現実にも不思議なことは起こるものですね。