大津市雄琴・日吉台・坂本・下阪本地区7河川の河川管理活動について | 「新大宮川を美しくする会」のブログ

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比叡山のふもと、琵琶湖に面する大津市比叡辻を流れる通称「新大宮川」とその周辺の環境・美化清掃活動をしています。

滋賀県河港・砂防協会の季刊誌「近江さんすい」2016/1(第11号)に

掲載いただきました。

当河川愛護団体「新大宮川を美しくする会」設立前の寄稿ですが、

設立に至る思いをお感じいただければ幸いです。

 

 

大津市雄琴・日吉台・坂本・下阪本地区7河川の河川管理活動について

河川管理パートナー 山本 克也(大津市)
 

 大津市の北西部、比叡山の麓、中学校区で言いますと日吉ブロック、小学校区では北から雄琴、日吉台、坂本、下阪本学区の雄琴川、大正寺川、高橋川、足洗川、大宮川、藤ノ木川、四ツ谷川の7河川を昨年の4月から毎月2回巡回管理させていただいています。
 さて、この地にある日吉大社は、およそ2100年前に鎮座したとされ、4世紀前半の景行天皇の髙穴穂宮、5世紀の木の岡古墳群、667年の天智天皇の大津宮、その後も最澄によって開かれた日本仏教の母山・比叡山延暦寺や明智光秀の坂本城築城と古代から中世にかけて、この地は、それぞれの時代に我が国有数の大きな町並みを形成していたとされます。これは、比叡山と琵琶湖の恵みに加えて、現在、私が管理をさせていただいています河川を利用した水路が天然水道の役割を果たし、きれいでおいしい飲み水と農業をはじめとした産業のための水をこの地に住む人々にたゆまなく満たしてくれていたからに違いありません。
 しかしながら、戦後の高度成長と宅地開発は、これらの河川にとって厳しいもので、私が子どもだった頃の40年ほど前からこれらの河川はそのきれいな水質を徐々に失い、加えて、コンクリートで囲まれた河川工事によって多くの生き物も河川から去って行ったと思います。それでも、私が幼い頃、高橋川の河口付近で、父が脇に抱えるほどの大きなコイを手掴みしてくれたことや、小学生の頃の夏休みは、毎日のように、当時の自宅の隣りを流れる大宮川で小アユやゴリを捕ったり、ホタルの時期は、家の中までホタルが入ってきたりしたことを鮮明に憶えています。
 また、花崗岩質の比叡山から流れ出す土砂は、先の広島県の土砂災害で一躍有名になった「真砂土」であるうえに、地形的にも山から里が近く、急斜面であることから、昔から鉄砲水や土砂災害の危険に晒されているのがこの地域の河川でもあります。私が小学生の頃、台風による大雨で大宮川が溢れ、堤防が切れて、自宅が床下浸水の被害にあったこともあります。
 私の担当する7つの河川は、このような川ですから、愛おしく思う気持ちと畏敬、畏怖の念を持って、巡視のたびに、「今日の川はどんなだろう」と思いながら、また、最近では、現場報告の正確性と記録性を向上するため、スマホを使った位置情報付きの写真を報告書に添付することを心掛けています。
 簡単に、私の今まで1年半超の活動を振り返りますと、数回土砂崩れ現場を発見し、河川内の不法投棄では、自転車をはじめ、原付バイク、リヤカー、タイヤ、大きなドラム缶、畳サイズのべニヤ板、トタン板、ブラウン管テレビなどを報告しました。また、活動中、イノシシやシカ、サル、キジ、大きなスッポンなどに遭遇し、小アユの滝昇り、ニゴイの群れの遡上や、シラサギ、アオサギ、ゴイサギ、カモ、バンなどの野鳥を見て楽しんでも来ました。ときには、道路上の大きな「穴ぼこ」を発見し、道路管理者に補修を依頼したこともあります。草木の繁茂の伐採依頼の判断はいつも難しく思います。今やコンクリートに覆われた河川の中洲の草木は、生き物にとっての貴重な「棲家」、「オアシス」のように思えるからです。バス釣り人のゴミのポイ捨てに閉口し、タンクローリーの横転事故による灯油の河川への流出や遡上途中で川が干上がり死んでしまった可哀そうな数十匹のニゴイの死骸の現場を目にしたこともあります。これらの経験からも、地域の皆さんには、本当に地元の河川を大事にし、愛おしんで欲しいと願っています。
 これら地域の河川の恵みに感謝し、環境と景観を守るとともに、河川の氾濫、土砂崩れ等による危険から地域の皆さんの生命と生活を守る活動に誇りを持ち、時間の許す限り今後も、河川管理活動に関わって行きたいと思います。