「熊本の歴史勉強会」野外授業 阿蘇の君コース | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 話は昨年12月に戻る。
 昨年5月に始めた熊本の歴史勉強会、12月に初めての野外授業を行った。現場へ出かけ歴史の痕跡に触れる。 
 第一回目は、「阿蘇の君」コース。
阿蘇の君(阿蘇氏)は、神武天皇(紀元前711年〜紀元前585年)の孫 健磐龍命(たけいわたつのみこと)にルーツを持つ熊本を代表する豪族。弥生時代後期、阿蘇北部で勢力を持ち始め、その勢力は阿蘇南部に拡大、さらに阿蘇外輪山を南に越え矢部、宇土あたりまで勢力を伸ばした。矢部に本拠地(浜の館)を構え室町時代に最盛期を迎える。その後島津家(鹿児島)との戦いに敗れ、勢力は衰えていく。ただしその家系は阿蘇神社の宮司として今でも残っている。


訪問場所   時代     説明
的石    神代の時代  健磐龍命が阿蘇 ・往生岳で弓の練習をした際、的にした岩。    北側阿蘇外輪山の麓にある。直線距離で約7キロ。鬼八伝説として伝承されている。
阿蘇神社   紀元前282年創立  健磐龍命の息子 速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が両親を祀ったことから始まる。健磐龍命をはじめ家族神12神を祀っている。紀元前282年といえば弥生時代。当時今のような神社があったとは思わないが、何らかの施設らしきものがあったのかもしれない。
国造神社      西暦88年創立  健磐龍命と共に阿蘇の地を開拓し、農耕・植林などを指導したとされる速瓶玉命を祀っている。すぐ近くにある円墳二基は速瓶玉命及びその妻の墓ではないかと言われているが、年代的にこれは信憑性がない。横穴式石室には入って触れることができる。
中通古墳群 西暦400年〜500年位  前方後円墳、円墳などが数基あり。阿蘇の君に関する古墳と言われている。
浜の館、岩尾城跡 鎌倉~室町時代 阿蘇氏の勢力拡大により現山都町(旧矢部)に作られた政庁。また屋敷が攻め込まれた際に使われた城。この岩尾城跡は通潤橋(石橋)のすぐ横にある。浜の館は矢部に伝承として残っていたが、矢部高校改修のおり、礎石をはじめ様々な出土品があり、その存在が明らかになった。

 それぞれの名所は断片的に行ったことはあるが、こうやってまとめての訪問は初めて。田畑の中にある古墳群の中にたたずむと、1500年ほど前の阿蘇の君がなんとなく目の前を歩いているようなそんな気がする。まだまだ知らない事はたくさんある。興味のある方は是非試して頂きたい。

 中通古墳群

 写真はお借りしました。1500年ほど前、阿蘇の君がこのあたりを歩いていたのです