太閤園とその周辺についての話し | 風が吹く日も、雨の日も

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着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 新年会の会場になった太閤園は、電車で行くなら大阪城北詰駅になります。
 JR環状線の京橋で東西線に乗りかえます。
 普段はまず行かない駅、乗らない路線です。

 駅を出て左に折れるとすぐに太閤園があるのですが、時間が早かったのでふと気まぐれに右を向くと、立派な武家屋敷の門があり「藤田邸跡公園」と書かれていました。
 公園なので自由に無料で入ることができました。
 中はほぼ日本庭園です。
 すぐ横には、その日は開いていない藤田美術館がありました。
 藤田、藤田と言うからには、藤田という大名かなんかの所縁があるに違いないと思い、持っていたiPhoneで検索してさらっと調べてみました。
 それによると、太閤園も藤田邸跡公園も藤田美術館も、すべて藤田男爵の広大な屋敷「網島御殿」跡であることがわかりました。
 帰宅してから更に詳しく調べてびっくりするのですが、とにかくきれいなところでした。

 今回の記事では、新年会の後に散策した太閤園の庭の写真をご覧ください。

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 庭にはとても沢山の石灯籠がありました。
 どれも建てられた年代や形は様々なようです。

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 別館になっている淀川邸です。
 これは、もとのお邸の本邸・西邸・東邸のうち、戦災を逃れた東邸だそうです。

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 元の網島御殿という名前でぴんと来た方がいるかもしれませんが、ここは近松門左衛門の「心中天網島」の舞台になった地です。今その場所は公園になっています。
 もとの所有者の藤田傳三郎氏は大阪の財界の大物で、関わった企業団体は数多く、現在まで続いているものも沢山あります。

 東京にあるホテル椿山荘は藤田氏の東京の別宅で、この太閤園とともに藤田観光が管理・運営しています。藤田氏の跡取りが山県有朋より受け継いだのだそうです。
 他にも、京都国際ホテル、箱根小涌園が藤田観光のものです。
 大正・昭和のモダンな時代に、和の美しさを大事にした藤田男爵家は素晴らしい~。
 でも、大阪ではほぼ無名の人でした。
 っていうか、大阪では地元の偉人について学校などで取り上げることがほとんどありません。
 大阪は団結力や郷土愛に欠けるという人がありますが、その一因はそこなんじゃないのかなと思う今日この頃です。

 私も地元の歴史に疎いので、最近気がつくと調べたりして知ることを心がけています。