検定試験を受けた後に行く、試験会場近くの生パスタのお店、竹井屋さん。
生パスタはもちもち感があって、とても美味しいです。
試験お疲れ様会としての外ランチで、一回目はグラスワインをつけました。
でも、二回目の今回はなし。
自分のがんばりを祝う気分ではなかったのでした。
バゲットと、ちゃんと作ったサラダ。
たらこと青じぞのパスタ。
食後の珈琲。
自宅に帰ってから自己採点しました。
一回目よりがんばったはずなのに、自己採点結果は一回目よりも悪いものでした。
今回も落ちてしまった。
次回からは制度変更があるらしいけれど、もう次は受けないつもりです。
今回も前回同様、試験勉強は楽しいものでした。
しかし、暗記がダメな性質なので、細かなひっかけ問題には気づかず見事にひっかかってしまいます。
そして、この内容で、なぜひっかけて落とすような設問をするのかが、理解できず納得できません。
負け惜しみになってることを承知で吐き出しますが、実用的な資格試験ではありません。
この試験の為の勉強が活かせる場が具体的に想像できるようなものではないのです。
そのせいかもしれないのですが、設問のし方がありきたりのマークシートで、重箱の隅をつつくようなひっかけ問題が沢山出題されます。
試験の数日後、アメリカの大学の受験要項について書いた記事をネットで見つけました。
受験資格については、曖昧さが残る内容になっています。
「~があると望ましい。しかし、そうでなくても構わない」
そんな書き方です。
私が受験したのは、持続可能な社会を作る為の基礎となる知識を問う検定試験でした。
それに、記憶に頼った知識を問う問題ばかりが出るのはおかしいのではないか。
分野が限られ、もっと偏った知識しかない者でも、評価されるような仕組みにはできないのか。
記述問題や論文、面接はできないのか。
曖昧さを持ち、合格の基準にある程度の幅を持たすことはできないのか。
その曖昧さは危険ですが、同時に小さな可能性を見つける光になります。
受験料5,000円は、安くはないけれど高いものでもありません。
検定試験をするには、それ相応の経費がかかります。
5,000円の受験料で面接をすることは無理でしょう。
でもなぁ・・・あの試験はなぁ。
先のネット記事で、日本人が試験制度を作ると画一的なものになる、というような記述があり、あーこの検定試験もそんな感じで成立してるのかな、と思いました。
同じような内容の試験が日本以外にあったとしたら、もっと違う試験方法になってるかもしれない。
繰り返しになりますが、私はこの試験の為の勉強をとても楽しみました。
もし余裕があれば、認定教科書とは別に、自分用の参考書を作りたいとまで思いました。
勉強をして触れた知識は大事にしていこうと思います。
でも、再々受験はありません。
この検定試験は、残念な結果で終了しました。
お疲れ様でした。