夢で会う | 風が吹く日も、雨の日も

風が吹く日も、雨の日も

着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 私は夢でいろんなところに行くのですが、過去に戻ったり懐かしい人に会うこともよくあります。
 今は建て替えている田舎の家ですが、夢の中ではいつも古い家のままだし、とっくに取り壊されている生家に行くこともあります。

 つい先日の夢では、その生家に唯一連絡をとっている親戚のいとこが住んでいて、何故か縁を切っている兄一家や叔父・叔母とそこに集まって会話していました。

 この頃はありませんが、大好きだった祖母や、とっくに亡くなった父に会うこともよくありました。
 昨年逝った母と会わないのは、毎日生活をしながらよく思い出すせいだろうかと思ったり、母に知らせずに今の住まいに引っ越したので、私の居場所が判らないからかと思ったりしていました。

 ところが先日、思いがけないことを子供さんから聞きました。
 言うのを迷って黙っていたらしいのですが、年が明けてから夢で母を見たそうです。
 夢の中で今のこの家のダイニングにいたら、横の暗い部屋に母が座っていて、「あんたはいいなぁ、○○子(私)に愛されて」と言いながら笑っていたそうです。
 後で確かめましたが、朗らかな笑い方だったらしいので安堵しました。

 母は生前、難病の影響で老人性のうつを発症しており、暗い部屋で電気もつけずにいることがよくありました。異様なその様を憶えているので、最初にその話を聞いた時はぞっとしたのでした。
 ついに居場所が見つかって、ここまで恨みごとを言いに来たのか。
 それも、よりによって子供さんに。
 私には、そんな風に感じられました。
 でも、私が怖がるのでもうその話しはしないと前置きしつつ、子供さんは母が決して嫌な笑い方をしていたのではなかったと伝えてくれたのです。
 だから、別に怖い思いはしなかったと。

 今になっても、夢であっても、母に恨みごとを言われると想像しただけで背筋が凍りそうになります。
 恐ろしくて、悲しくて、泪が出てきます。
 でも、母が穏やかに笑っていたのであれば、どれだけ救われることか。

 人が聞いたら変な思い込みと思われるようなこととは思いますが、このように夢と現実の区別が曖昧なのは私の感覚の個性なのです。
 人は現実だけ、現在と未来だけで生きているのではなく、時々夢や過去と行き来すると考えています。
 だって、過去があるから自分がここにいるのですから。

 思えば、母が私を見つける為の目印になるようなものが今の住まいの中に溢れています。
 古い家財が今も現役で活躍し、その多くは母も長く使ってきたものばかりです。
 母はここに来て、また一緒に暮らしているようなもんだなと思うこともあります。

 なるべく笑顔多く暮らしていけたらいいな。
 母も一緒に、もっと笑ってくれるように。