糸くずを切る | 風が吹く日も、雨の日も

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着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 ふと思い出した昔のことが頭から離れないので、書くことで頭から追い出してしまおうと思い記事にします。

 もう随分と昔のことなのですが、まだ離婚しておらず子供さんも小さかった時に、前の夫の実家に帰省をしていました。
 私と、子供さんと、義父がいました。
 子供さんの服のどこかがほつれて、糸くずが出ていました。
 それを私と義父が見つけました。

 義父はこともなげにハサミを持ってきて、それを切って捨てました。
 ただそれだけのことなのですが、私にはそのことが印象深く、未だに忘れられません。

 その時、私はハサミを探そうともしませんでした。
 ただ、ほつれていることに落胆していました。
 その糸くずをいつかは切っていたかもしれませんが、当時の私に任せていたら、数日から数ヶ月かかったことでしょう。

 その頃、私はひどい疲れを感じ始めていました。
 疲れを感じるのはいつものことですが、その時は今のように独身ではなかったので付き合う家族親族が多く、子供は小さいので育児は大変で、仕事もあり、家計の心配もありました。
 母の介護もありました。
 疲れる要因には、事欠きませんでした。
 だから気持ちに余裕がなく、体の動きは鈍かったのです。

 子供の服がほつれて、糸くずが出ている。
 それを見つけて、まずはその事態がとてもやっかいなものと感じ、落胆する。そして、出来うる限り長くそれを見ない振りをして放置する。それが、その時の私が一番やりそうな行動でした。

 今でもそうですが、思いついたことを即口にしたり行動できる人を見ると、凄いな、素直で、自由な人だなぁと思います。
 私はそのような行動パターンを持っていなかったので、大人になってから意識して身につける訓練をしています。
 そうしてもいい時かどうかを判断し、そうする。或いは、感情的に我慢も判断もせずやる。(他の人に被害を及ぼしたりということがない場合のみ)
 今はいくらかそれができるようになっていると思いますが、当時はそんなことは思いもよらないことでした。やったとしたら、周りの猛烈な反発を食らっていただろうとも思います。
 私は自分の為の自発的な行動が少なく、常に利他的で、従順だったのです。そんな私の子供は、私に近しいものとして、私の次に私に大事にされない存在だったのだろうと思います。

 糸くずを見つけてすぐにその始末をした義父が、当時の私にはとても自由な生活、生き方をしている人に見えました。
 それは、気持ちがいいと言うよりは、妬ましい姿でした。
 私が出来ない、思いもつかない素直な行動をする人がいる。それを支える存在として私がいる。でも、私はこんなにも不自由を感じている。
 自分の子供の服の糸くずも始末できない不自由さ。
 これって、なんだろう。

 その問いの答えは判っていましたが、それをはっきり意識して言葉にし、行動するまで数年を要しました。
 それはなかなかに厳しい時間でした。
 糸くずを見つけた時から考えれば私が行動を起こした時まではとても長く、それがきっかけとは言えないと思います。
 でも、私はちゃんと気づいていたのです。
 その時、自分の生き方がおかしいことになっている、このままではまずいと、感じたのだと思います。

 あの時、糸くずを切ってあげられなかった子供さんの為に、今は多くのものを費やします。
 これからも沢山のものを、そうします。
 この先悔やむことはないように、いろんなものを渡して、一緒に、自由に過ごしていきたいと思います。
 人に妬まれるくらいにならなくては、と。