自分の中のダブル・スタンダード | 風が吹く日も、雨の日も

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着物と子どもと「おいしいは正義」の日々。街歩きや美術館なんかも好きです。

 ダブル・スタンダードという言葉をご存知でしょうか?
 直訳すると「二重基準」になるのかな。同じ事柄に対して、場合によって違った態度をとったり返答をしたりする場合にそう言います。

 私がこの言葉を知ったのはアメリカ文化の勉強中で、同じ事柄でも白人に対するルールと黒人に対するルールがあった、と言うような歴史的な話の中ででした。
 ダブル・スタンダードって、生活のいろんなところにありそうじゃありませんか?
 男性の場合はこうだけど、女性の場合はこうだとか。
 息子に対してはこうだけど、娘に対してはこうだとか。

 最近この言葉をふと思い出して、頭の中に居座ってるのでブログ記事として書き出しておこうと思いました。

 私という人間は、自分自身の中で本来ひとつのものである筈のことがふたつに別れてしまっていることが多くあります。その不自然さが私にしんどさや苦しさや不安を感じさせる原因になっています。
 その中のひとつが、行動する時の、それが適切かどうかの判断基準です。
 判りにくいですよね。
 例えば、服を選ぶ時、自分の好みのものを選ぶか、自分以外の人の好みを考えて選ぶか、とか。
 「何が食べたい?」って訊かれて、自分が食べたいものを言うか、相手が好きそうなものを言うか、とか。
 そんなコトです。

 私は、自分の確固たる好みや考えがありながら、長く、多くの場合、母親がより好むもの、喜びそうなものを選択して生きてきました。
 私が生まれた家庭は5人家族で、両親、父方の祖母、私と私の兄という構成でした。
 祖母は末子だった私の父を溺愛しており、父は愛されてばかりで愛することを知らなかったのかもしれません。育児に積極的に参加することはありませんでした。父の母に対する束縛は強く、母は家庭外での時間と活動をきつく制限されていました。私は兄を兄として慕っていましたが、兄と仲良くした思い出は殆どありません。
 母は私を生んで性別を知った時、「これで家族の中に自分の味方ができた」と思ったそうです。

 すでにお気づきの方もおられるかもしれませんが、私は母に、「母の味方」となるように教育されました。それはつまり、悉く母の意に沿った生活、人生を送ることを意味します。
 服装も、髪型も、食べ物も、進路も、母は指図をしました。
 私が長じて指図に従わないと、従うまでそれを続けました。また、従った後もなかなか従わなかったことで責めてきました。
 こんな生活をずっとしていると、自分の中にしっかりとダブル・スタンダードが出来上がってしまいます。そして、常に母の基準は自分の基準より優先すべきとの生活習慣がつきます。
 この習慣を改めるのは大変な仕事です。

 母と離れてから2年程経ちます。
 母とだけでなく、他の家族親戚とも殆ど会うことも連絡をとることもしていません。
 生活が随分と静かになり、落ち着いてきたと感じます。

 ちょっとした買い物依存症だったと思うのですが、家計改善に勤しんで、以前程の不安はなくなり、新しいものを買うことは滅多になくなりました。
 昨年秋に引越しをした折に、自分好みでないものや使わないものはかなり整理できました。
 今は、自分が好きな服や鞄に囲まれて暮らしています。
 そんな生活の中で、自分の中のダブル・スタンダードがついに解消され始めている気がしてきました。
 それについての罪の意識も薄まり、自分というものの輪郭がよく見えだして、自分でない人との境界線の在り処が、徐々に掴めてきたようにも感じています。

 自分が社会で健全に生きていく為の基礎作りが、やっと始まったんだなと思います。
 完了したのではなく、スタート出来たぐらいのことですが、スタートラインに立つまでの長さを思うと、走り始めたこれからの道は、楽しくのんびりと進んでいけるのだと信じたい。

 あなたの中に、ダブル・スタンダードはありませんか?