もうすでに何日か過ぎてしまっていますが、あの大震災から一年が過ぎました。
出来る支援が少ないこと、現地へ行ってみたいけど行けないこと、思うこと感じることはこの一年いろいろありました。
が、自分の生活もちゃんと出来ていないし、一番支援しないといけないのは傍にいる子供さんだし、そこのところを充分弁えて暮らしていかないとなぁと言う思いがずっとあります。
普段から自分に関わりがあると思えない震災関連の情報がテレビで流れる度にストレスを訴えていた子供さんですので、3月11日が近づくにつれ震災関連情報が多くなることは気がかりでした。
いつ子供さんがストレスから崩れてしまうか、内心びくびくしていました。
普段でもいつ何時、何がきっかけで気分が落ちてしまうかわからない子供さんですし、私は未だにそのことに慣れることが出来ていません。
子供さんが崩れてしまう度に、辛かったり腹を立てたりします。
子供さんはテレビから受けるストレスが大きくなってきて、テレビを消しっぱなしにしておく時間が増えてきました。
点けていても、イヤだなと思った時にはいつでも消していいよと繰り返し伝えていました。
そして3月11日、私は偶然に朝から外出する予定になっていました。
お世話になっている呉服屋さんのイベントがあり、京都まで行く予定で朝早くから準備をして出掛けました。
その日着たのは結城紬で、帯も結城紬の地に手描き染めをしたものでした。結城紬の産地である茨城県結城市も震災の被災地です。
結城紬はユネスコの無形文化財指定を受けた日本が誇る織物ですが、高価なものが多く普段から売れない、後継者がいないなどの問題を抱えています。昨年の震災では被災し、結城市への発注が止まって織り元が大変なことになっていたそうです。
そんな結城市が産した結城紬を身につけることが、私に出来る精一杯の支援です。
イベントでは景品に東北の物産をいくつか揃え、呉服屋さんが取り組む被災地への支援についてのお話が少しだけありました。
それぞれの立場で出来る支援を、息長く続けていけばいいのだと思います。
帰宅後は子供さんの様子を見て、静かに過ごしました。
テレビを点けると、どうしてもどの番組も震災に言及せざるをえないので、そのことで子供さんが癇癪を起こしたりしないか心配でした。
大きなこともなく震災の日が終わり、ふと、地震が大嫌いだった母は震災の日どうしていただろうかと思ったり。
もう一年。
まだ一年。
でも、そんな風にしてここ数年いろんなことをやり過ごし、乗り越えてきたなぁ。
願わくば被災し苦労されている方々が、生きていることを悔やむことなく、一日一日を生きていってくださればと思います。
それが、亡くなられた方への、一番の供養なのではないかと。
残された辛さの中から這い上がるには、まだ何年も何年もかかるかもしれません。
でも、生きていることにも生まれてくることにも罪はないのです。
なくなった方がいい命というものはありません。
いつか子供さんも震災のことを違った言葉で話す日が来るでしょう。
それは別の震災のことかもしれません。
私と子供さんが無事にその日を過ごせたことを感謝しています。