お盆ですね。
私のお盆休みは明日までなんですが、明日の予定がなくなってしまいました。
今日はそのちょっとしたことを書いてみます。
昔から、盆正月と5月のGWは、まったく楽しみではありませんでした。
むしろ、苦痛でした。
私は40年間母親と同居していたのですが、その母親が盆正月とGWの予定の決定権を握って離さなかったので、自分個人の楽しみをそこに組み込むことが不可能だったのです。
GWは母の郷里に帰省。
お盆は母の郷里に帰省し、父方母方の墓参りと「盆礼」と称する親戚一同の会食。
年末は家中の掃除とお節の用意、元旦は家族で正月の挨拶と兄一家を「お客」としてもてなし、二日からはやはり母の郷里に帰省して「正月礼」という親戚一同の会食。
毎年、この繰り返しでした。
夏に南の島に行くことも、年末にカウントダウン・コンサートに行くことも許されませんでした。
現在母は大阪から実家傍の病院への転院を経て、次の落ち着き先へ移る準備中です。
なんとか次の行き先が決まりつつありますが、そのことに関しては再三母の郷里の親類から私に対して話し合いに来るようにとの圧力がかかっていました。
その圧力は、帰省に都合のいい長いお休みの前に強くなります。
今年の5月の連休前は、母や親戚から何度も電話やメールが来て、母の郷里に来てあれしろこれしろと沢山の指図があり、私はちょっとしたノイローゼに近い状態に陥りました。
結局話し合いには行かなかったのですが、連休に近づくのがとても怖く、また連休中も何か恐ろしい事態が起きやしないかとずっと思っていました。
なので、連休中は田舎の話し合いに行く以外の何の予定も立てることが出来ず、ろくに家から出ることも出来ませんでした。
私は子供さんとふたり暮らしなので、仕事もなく家にいると子供さん以外の人と話をする機会を失います。
人にもよるとは思いますが、私にとって自分以外の大人の人とコミュニケーションを取る機会がないということは、とても淋しく辛いことになります。
扱いが難しく神経の細い子供さんとずっと一緒に何日も生活するのは、とても大変なことなのです。
やはり時にはひとりになったり、年の近い友人と話すと言った、息を抜くことが必要になります。
母子家庭の母親が精神的に追い詰められ易いのは、やはり他の大人の人とのコミュニケーションの機会が少ないことが原因のひとつとしてあると思っています。
一度ネットで母子家庭の家計について検索したことがあります。
見つかった情報を見る限り苦しいケースが多く、概ね「交際費」などは費目としては存在しません。
大人としての「交際」もなかなか出来ない状況にあるということです。
勿論、母子家庭にもいろいろあるので一概には何も断定出来ませんが、核家族、母子家庭の親にとって、周囲との繋がりを作って保つことはとてもとても大切なことです。
当然、私にもそれは大事なことな訳です。
五月の連休の最後の方では、私は人恋しさで参ってしまい、その上苦手な宿題を抱えて子供さんがパニックを起こしてしまったので本当にしんどい状況になりました。
それを踏まえての、このお盆でした。
やはり、田舎に来い、話し合いに出て来いの圧力はありました。
でも、電話の着信拒否機能などを駆使してその圧力をなるべくコントロールすることに努めました。
それでも恐怖心と不安が大きかったので、気を紛らわせる為に人と会う予定を多めに詰め込みました。
そして、人恋しさに悩まないように、お盆の最終日には遊びに出掛ける予定を作りました。
明日がその日。
でも、一緒に行く友人の都合がつかず、その予定は消えてしまったのです。
だから今日は気持ちの忙しい日でした。
とても腹を立てていました。怒っていました。それから、とてもとても悲しかった。
なんだかもう二度と遊びの予定は立てられないような落ち込みぶりでした。
相手の人にも文句を言いました。
でも、文句を言ったり怒ったりするのが苦手で、更なるストレスを背負い込みました。
今までの私の人生では、私が怒るとまず間違いなく逆ギレされるので、怒る時は同時に逆ギレされる恐怖との戦いになっているのです。
そして、当然のごとく怒ったりケンカしたりが下手なので、怒った後にどんな態度をすべきか見当がつかずまたひとり困惑するという・・・不器用を絵に描いたギャグのような状態になります。
困ったもんです。
もう、あまり深く考えないで、この淋しい連休最後の日をどうして過ごすべきか考えよう。
一日ぽっかり空いたので、子供さんと映画に行く予定を作りました。
でも、人恋しい気持ちをどうしよう?
そちらの方の対処はどうすべきか、まだ何も決めれてません。
何も決めなくても、息を詰めている間にひと晩過ぎて仕事が再開するのは判っています。
でもねぇ。
何か自分にしてあげたいのです。
もう少し、考えます。