英語にまつわる私と娘の話②(私の20代) | イライラ母と2024私立中進学の娘

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私立中に通う中1娘のことでいつもイライラしてばかりの母ですが、娘のことや自分のことなどについて吐き出していきたいと思います。
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↑この続きです。

そんな感じで私の英語は中学レベルのまま、社会人となり、新卒で入った会社で入社後すぐ受けさせられたはじめてのTOEICでは200点あせる


当時もリスニングは全くできず、リーディングもほとんどわからなくて、そのうち解くのが面倒になって、問題も読まずにただひたすら同じ番号をマークし、その後はそれにも飽きて最後の方はマークするのもやめて寝てしまった、というひどい感じでしたガーン


最初の仕事は営業職だったので、外資系だったものの英語を使うことは基本なかったのですが、その後、転職して入った会社は、外資系の内勤職だったため、何かと英語に関わることが多く英語ができない私は肩身が狭い思いをしましたあせる


新卒で入った会社を辞めた後 実は20代ながら早期退職制度により退職金をたくさんもらって辞められて、すぐに失業保険ももらえたので、失業保険がもらえる3ヶ月間、無職生活を楽しんでました、今後、営業職以外の仕事では英語は必要だろうと思い、ニュージーランドに行って、午前は英語学校、午後はゴルフ、という楽しいエセ短期英語留学に1ヶ月ほど行ったのですが(当時ゴルフにかなりはまってた)、日本人生徒だらけの英語学校にちょっと行ったからって、英語力をつけることはほとんどできずで汗うさぎ しかもずっと一番下のクラスだったあせる


なのに、日本に帰る前にニュージーランド観光したいと思って、現地で1週間くらいのツアーに1人で入ったら、これはきつかった泣くうさぎ


日本のツアーみたいに添乗員について回るスタイルを想像してたら全然違ってて、乗せられたバスに居合わせた人々皆が同じツアーなわけではなく、それぞれが自分のツアーの旅程に従って交通手段だけ提供され、各自がバスや電車などを乗り継いで行動するという感じでしてびっくり


乗せられたバスの運転手がガイドも兼ねててあれこれ説明してくれるけど、もちろん英語オンリーなので言ってることはほとんどわからないし、マウントクックとか観光地で、自由時間です、と言われてバスから出されても、言われたと思った集合時間がホントに合ってるか不安で、早めにバスに戻ったりしてあまりゆっくり観光できなかったりとかで。


ただ、度胸はあったので、英語ができなくでも、片言の英語とハッタリで、なんとか無事ツアーを終えて帰国しましたが、そんなこともあったせいか、ニュージーランドにはあまりいい印象がありませんでした


1人でニュージーランドの広大な景色を見ても、共有する人がいないのもあって楽しむことができなくて、感動が薄いというか。(英語に全く関係ない話…)


そんなこんなで英語はできないまま、帰国後に転職活動して社目の会社に入ったのですが、面接で英語力について聞かれた際は、一応、ニュージーランドに1ヶ月行って勉強しました、と言うことはできたのはよかったのかも⁉️中身はなかったが、やる気だけは認めてもらった?!


2社目の私の仕事自体は日本人相手の業務だったので、英語ができなくともたいして問題はありませんでしたが、たまに英語のテキストの和訳などもありましたが基本は不要 外資系のため、基本英語ができる人も多く、社長の他数名ガイジンがいたため、ちょっとした英語でのやり取りがあったり、たまにある朝礼などのときは基本通訳もないので、私はほとんどわからなくて困りました…


ちなみに、この会社に入った頃に受けさせられたTOEICは400点に満たないくらい。

新入社員のときに出たらめに答えたときの結果よりはよかったけど、今どきの大学新卒レベルにはほど遠いレベルキョロキョロ


そんなこんなで、この頃から、自分の懐と相談しながら英語を習いに行くようになったかも。


この会社では、インターンで来ていたガイジンが英語を教えてくれたり、それとは別に個人的にベルリッツにも半年ほど通いました。半年だけ半額となる教育訓練制度を使ってたため確か半年で20万くらいだったかと。


そしてその会社も数年で辞め、今度はイギリスへ1ヶ月の短期語学留学。

今度はみっちり英語を習得したいなと、教え方がいいと思ってたベルリッツでガッツリ教わればだいぶ違うだろうと思い、ベルリッツのブライトン校へ。ロンドンの南にある港町です


ちょうど夏休みの時期でもあり、同じように短期で来ている日本人や他国の人々もいたりする中、毎日学校に通ったのですが、結局ちっとも身にならずガッカリな1ヶ月でしたショボーン


というのは、イギリスでも日本と同じように基本的にはベルリッツメソッドでテキスト通りの文を繰り返して発声する方式ではあるものの、自由にしゃべるガイジン(とくにイタリア人など)を先生がコントロールできず、ちっとも授業が進まないという感じでむかっ


日本で使ってたテキストをそのままブライトン校でも使ってたけど、日本に帰ってまたベルリッツに行ったら、ブライトンでせっかくテキストが進んだはずだったのに元に戻されてしまうようなレベルでした…


後から思えば、夏休みの時期だったから、先生もバイトとかで質が悪かったのかも。


かなり費用もかけて渡英したし 費用は航空費、滞在費、授業料で確か80万くらいだったかな、日本で通ってたペース(週2で2時間程度)の受講に比べたら、毎日終日(6時間くらい?)英語漬けだったら1ヶ月でもかなり英語も上達するかと思ったんですけどねえーん


帰国後、実力はないけど一応英語の勉強はしているアピールはしつつ3社目の会社に入りました。


ここではいろんな業務を行う中で、本国(この会社も外資系)とのメールなどのやり取りがあったり、英語の文献を読んだりするような業務もあったりして、とくにその文献業務が入るとかなり大変でしたあせるあせる


同じ業務をする同僚はTOEIC800点くらいで英語ができる人だったので、そっちに英語関連の仕事が行けばいいのですが、依頼者から直接頼まれてしまうとやらねばならない感じで。


当時(約20年前)は今みたいな無料の翻訳ソフトもなく、有料のソフトも精度がイマイチだし、PDFからWORDに変換もできなかったので、翻訳ソフトは自分で打ち込まないと使えないし、英語ができない私はその仕事が入るとちっとも仕事が進まない感じで泣


当時は確かようやくTOEIC550点くらいレベル。


この会社では英会話スクール代を出してもらってまたベルリッツに通ってましたが、仕事が忙しくて、そして自分でお金を払ってなかったせいもあってか、半分も行ってなくてかなりもったいなかった感じ。


その後、その会社も辞めることにして、今度はイギリスへ1年くらい行くことにしました。

英語も上達したかったけど、プラスアルファのスキルを学ぼうとアロマセラピーの学校に行くべく、電話での入学面接も事前になんとかクリアして。相変わらず英会話レベルも低かったけど、ほぼハッタリでなんとか応対した感じ💦


そして、現地で3ヶ月英会話学校に通った後、アロマセラピーの学校に通う予定で渡英したのでした。確か30才過ぎくらいの頃。


↓に続きます。