2010年が終わろうとしてるね。
今年、実はとても悲しいことがありました。
口にしたくないことだったのであまり人に言ってなかったし、ブログにも書いてなかったのですが、いつかこのことについて書かなきゃと思っていたので今年最後の日に。
私のパパが今年の9月28日に亡くなりました。
末期の膵臓癌でした。
4月末に癌だということが発覚してから5ヶ月。
短い期間だったけど長い長い時間でした。
私はパパに「絶対死なないでほしい。」と言ったし、パパも「出来る限りがんばる。」と言ったし、お医者さんにもお願いしたし、神様や仏様にもお願いしたし、現実的にもあらゆる手を尽くしたけど、だめでした。
最期は家族で看取ることができました。
私のパパはこんな感じの人でした。
■夕食時にいつもウイスキーの水割りを飲んでいて、酔うと饒舌になって、昔のアイスホッケー部時代の話をしたり、「おいらはドラマぁー♪」と石原裕次郎の歌を歌いだしたりした。
■私がなんかバカなことを言ったりして親戚とかに笑われることをしても「ゆきちゃんは本当にユニークな子だから。」とニコニコしてくれた。
■今まで一万回くらい、「ゆきちゃんは優しい子だから。」と言ってくれた。
■私が幼稚園の頃、「ゆきちゃんの手おっきい。」と友達に笑わた。その夜、階段に座りながらパパに「なんで私の手は他の子と違ってかわいくないんだろう。」と言ったら、一緒に階段に座って「こんなきれいな手はないよ。」と言って肉厚のあたたかい手で包んでくれた。
■家でも外でもいつもおオシャレで、私の友達にも「ゆきのお父さんってダンディーだね。」とよく言われた。でも休暇中たまに生やすヒゲはすごく似合わなかった。
■なによりゴルフが大好きで毎週末行くんだけどなかなか上達しなくて、帰宅後の第一声は「もうゴルフがわかった。」か「もうゴルフはやめた。」の二種類しかなかった。
■パパと私の食の好みは全くといっていいほど同じで、おつまみ系が大好きで、小さい頃私はパパの膝の上でカラスミとかを一緒になって食べてた。私が食べ過ぎると「子供は鼻血が出るから。」と言って没収された。
■パパは煙草が大好きで、家族でハワイに行った時は飛行機のトイレで喫煙して外人のスチュワーデスさんにこっぴどく叱られた。そのときのパパの姿は凄くダサかった。
■パパと私の字はよく似ていると妹やママによく言われる。
■タクシーの運転手さんやレストランの店員さんや色んな人に丁寧で優しかった。ちなみに私、「好きな男性のタイプは?」と聞かれたら「タクシーの運転手さんやレストランの店員さんに優しい人。」といつも答える。無意識だったけどパパの影響かも。
■むかしパパとママが夫婦喧嘩したときにパパが興奮しながらママに「出てけ!」と言った。ママが出てく後ろに子供3人全員が当然のようについていった。数時間後みんなで家に帰ったら、居間のはじっこで黙々とゴルフの素振りをしてたパパの背中が忘れられない。
■私の舞台も映画もテレビもみたことがなかったのに、友人たちには私が出た作品やこのブログのことを教えていたことが葬儀で発覚した。昔あんなに反対してたのに意外だった。
■おしゃれなパパが一回変てこな帽子を買ってきた。油揚げみたいな耳あてが付いている、そりゃもう変てこな帽子。それをかぶって一緒に歩いてたら曲がり角で遭遇した犬が、パパを二度見してそのあと気が狂ったように吠えた。
■うちは全員しゃべるのが遅いんだけど、なかでもパパは断トツ遅くて、時々文章の濁点のあたりで寝てそうなときがあった。
■パパと2回くらいカラオケに行ったことがあるんだけど、画面の字幕に全然追いつけてなかった。
■物をいつまでも捨てずにとっておく人で、最近までお気に入りだったセーターは私が4歳のときの写真でも着てた。ママは正反対にばんばん捨てる人なんだけど、私は完全にパパ派。
■癌が末期だとわかった頃、パパに「なにかしてほしいことある?」と聞いたら「子宮癌のワクチンを受けてほしいのと、家族がずっと仲良くしてほしい。」と言った。
そんなこんなで、強くてかっこいいけど弱くて人間らしいパパを私は大好きでした。
葬儀は家族葬にさせていただいたのだけど、後日開いたお別れ会には300人もの方々が参列してくださり悲しんでくれました。
そして、こないだはパパのゴルフ仲間が私達家族にパパとの思い出話を話してくれる食事会を開いてくれました。
家族の知らないパパを知ることができてすごくすごく嬉しかった。
泣いて言葉につまる方々もいた。
こんなに沢山の人々に別れを惜しんでもらったパパの人生は、短かったけどいい人生だったんじゃないかと思う。
このブログを見てくださっていてパパがお世話になった方に、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
そしていま。
パパは確実に近くにいてくれていると感じる。
霊感ないけど実感する。
左後ろあたりに絶対いる。
こりゃもう生きていた頃より近くなった。
仕方がないので、今後はパパと一緒に二人三脚で生きていこうと思います。
私は良くも悪くもパパによく似ているから大丈夫。
喪中なので、「あけましておめでとう」は言えないけれど、来年もどうぞ宜しくお願いします。