(加筆あり。)またまたlast!父への手紙が入っているので、ほかの方はさらっと~♪ | オーナーママとして銀座で生きた「証」、そして私の「これから」。

オーナーママとして銀座で生きた「証」、そして私の「これから」。

祇園出身のわたし。
銀座で小さな会員制サロンのママとなった私の奮闘記録。
そしてコロナ禍に突入、お店閉店、鬱との闘い、でも夢を諦めずOLとホステスのダブルワークの日々を綴ってます。

ちょうど、一週間が経ちました。



あれだけ緊張して怖がっていた、あの日から。





最後の、本当にこれで、父のことに触れるのは最後になる、記事です。

 

 

 

 

父との再会から一週間。

 

 

早かったなあ。。

 

 

東京に戻ると、あの「気持ち」が嘘のように消える。

 

 

 

 

でも、ブログを書いていると、新たな読者(笑)のことを意識してしまったり。

 

 

 

こうして、私との空白の時間を彼が埋めていくのも、悪くはないかな、と思い始めています。

 

 

そして、ちょいちょいここでメッセージを伝えるのも。

 

 

悪くはないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

「俺のことは書くな。」と言っていたけれどね、お父さん、私から言論の自由だけははく奪しないで。(これでもかなーり、伏せて控えめにしてるんだから💦。)

 

 

 

過去をなくして、今の私はいない。

 

 

 

 

ひとつの貴方との大切な思い出、ニュージーランドでの、貴方との旅、私が「自分の手で切り開いた人生の場所」をひとつひとつ見せることができたとき。

 

 あれは、あの時のわたしの夢だった。

 

 今でも不思議なほど鮮明に、覚えてる。


プラムの美味しさ、それを頬張るお父さんの姿。





 

ニュージーランドの雄大さを、お父さんに見せたいって思ってたんだ、ガイドの時からずっと。

 

 

 

あれも3年くらいのブランクがあっての再会だったよね、久しぶりに見る、貴方が老いていることが、切なかった。

 

手を、頭を、足を、身長を見ながら、私が知らないうちにこれからも老いていくんだ、と。

 

 

辛かった。

 

 

 

 

 

テカポの星空、クイーンズタウンでの湖のほとり、クロムウェルでのフルーツショッピング。

 

 

プカキの湖も、テカポの湖も、全部全部、お父さんに見せたかった景色に、あれほど表現方法が上手くないあなたが、素直に感動してくれるって、さすがニュージーランドの自然のすごさ(笑)。

 

 

美しいものを見るときに、言葉はいらない。



ガイドは必要ない、のね(笑)。

 

 


 

 

「もう、自由に会えなくて、これが最後だから。」「彼女にルミと会うと悪いから。」と言われたとき。



Gellertが居たから大丈夫だった。



でも職場でもある空港であなたを、見送るときに、壊れてしまった、わたし。



まだ、20代だったからね。


 

 

あまりにも、声を出して泣きじゃくる私を、ニュージーランド航空の同僚たちが不思議そうに、そして、心配そうに、見つめていた。



みんな、集まってくれた。

異国の友だち、同僚たちが。



 

 

Just because my dad is leaving  now,so,そう言ったけれど。

 

 

 

あの時の涙は、誤解をされていたようですが(笑)、わたしが日本へ帰りたかった、じゃなくて、たった一人の残された肉親であるあなたとの別れが辛すぎたから。



もう、会えなくなるのが分かってたから、さ。

 

 

一緒に支えあって生きてきた時間もあったから、さ。

 

貴方の不器用な心配性(過剰だったけど、ね)な優しさに、感謝を。

 

 

 

 

あの時、Gellertが居てくれて、よかった。私を支えてくれて、よかった。



彼、まぁ、色々とあったけど、私を愛してくれて支え続けてくれたのは、確かなことで。


 

 

あの時も「Cicamica(ハンガリー語で、僕の子猫ちゃん)~・・・。大丈夫~??僕がそばにいるから~・・・ぐすんえーん」と一緒に泣いてくれた。彼は私が泣くたびに、いつも一緒に泣いてくれた。

 

 

 

東ヨーロッパの人だったから、家族の絆が本当に強い人だったから、私たちのことを理解するのがかなり難しかったみたい。(4年半一緒に生活していた彼も、私が日本に帰国してすぐ、NZの女性と出逢ってご結婚、今や2児のパパなのよクラッカー!幸せそうで、なにより♪)

 

 

 

 

こう、思い返したら。

 

 

 

涙の傍に、いつも、誰かが支えてくれていたのよ。



ニュージーランドの母、ダイアンであったり、Gellertのお母さんであったり。



じゃなかったら、わたし、生きていなかった、いけなかった、と思う。そして、そういう優しさにいつも、巡り合いながら時間と共にここまで来たのよ。



感謝を忘れるなよって、言ってたけど、うん、みんなに、感謝、いつも忘れないように生きているわ。


 

 

 

 

 

空白の時間を、異論はあるかもしれないけれど、このブログを読破することで、埋めることも、貴方の自由。

 

 ほら、私のブログでの笑顔を見て。(バニー姿は親としてthroughしてね!)



上高地で、山梨で、沖縄で。



ホンモノの、笑顔でしょう?




素敵なお店でしょう?



ね?






 

だから。

 

 

私は、ここで書くことによって助けられている部分が多くあるから、お願いだから、私からこの場所を奪うことだけは、しないでね。

 

 

私の大切な人たちとの場所だから。

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

That was true, there were the days I did love you , that was for sure,


but I'm begging you,

 

 

please, please,just leave me alone from now on.

 


In someway, I might be loving you still now,though.


Anyway,


Don't worry,dad. I'm fine, and will be.And hope you are fine as well.





ほら、日本語より、英語の方が表現に適しているときもあるのよ。




 今が、私の幸せな時代、なのよ。やっとね。



色々と、改めてありがとう。

 


 


 

 

おそらく、父への手紙は、1週間を経た、これにて終了となりますっ。



お騒がせいたしましたっ。

 

 

 

みなさま、さら~っと、流してねっ。もう、触れないので!