浪江の十日市と聞くと小銭を握りしめて朝から晩まで遊んでいた、福島県いわき市平にある「酒のしのぶや」三代目店主(仮)の佐藤浩一です。

 

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むかしむかし我が故郷の浪江町には十日市(とおかいち)というお祭りがあって、母校である浪江小学校は展示会場になってしまうので開催期間の3日間は毎年学校が休みになるという、まさに浪江小学校の子供達にとって夢のようなお祭りがありました。

 

浪江町商工会より

 

十日市は、明治6(1873)年に出羽権現(でわごんげん)【現在の浪江神社】の祭日として浪江町権現堂地区に市を立てたことに始まります。今日まで受けつがれた、浪江町における最大の伝統行事です。
 十日市の名前は、旧暦10月10日を中日として、三日間行われたことに由来するものですが、現在では太陽暦の11月下旬の土曜日・日曜日をふくむ三日間という決まりのもと、毎年運営委員会で定めた日に開かれます。
 この祭りは、そもそも収穫を終えた人々が、豊年を祝い、冬に向むけて生活用品を整えるための市として始まったものです。となりの幾世橋地区でも同じような六日市が行われており、元来は、こちらのほうが歴史も長く、よりにぎわっていたと言われています。しかし明治31年に鉄道が開通し、権現堂に浪江駅ができると立場は逆転し、ついに六日市は行われなくなりました。
 十日市の三日間は、中心である新町通りは完全な歩行者天国となり、およそ300店ほどの露店が建ちならび、浪江町のみならず周りの市町村からの人出で身動きができないほどのにぎわいを見せます。祭りの期間中、小学生による町内会ごとの樽神輿(たるみこし)、中学生と高校生による吹奏楽の演奏、小・中学生によるマーチングバンドや鼓笛隊のパレード、町内外の団体によるよさこいおどり、小・中学生の作品展、大道芸大会など様々なもよおしが行われ、祭りはさらににぎわいを見せます。
(浪江町商工会HPより抜粋)

 

十日市には300店の露店が軒を並べ人でごった返すほどで、子供の時から毎年十日市が楽しみだったんですが、露天商の方々とのやり取りが面白かったなぁって大人になると思います。

と言うよりも人生のパイセン達だったと今になると感じますね。

 

朝起きて初日は午前中にお小遣いをもらって街に繰り出します。

まずここで計画的に使うことを小さい頃から必然的に勉強するんです。

決められたお小遣いの中で自分の最善の選択をしなければいけない場合は、何を選んで何を諦めるのかを考える為とりあえず一周して品定めをします。

 

そこからは露天商の人達との会話を楽しむんです。

 

「おじちゃん、これいくら?」

「1回〇〇円だよ」

「え〜まけてよ」

「ジャンケンで勝ったらな」

 

こんな会話をしたりお釣りをもらう時に「〇〇万両のお返し〜」なんて言われてちょっとだけお金持ち気分になったり(笑)

 

中には算数の先生のように「〇〇円で〇〇円預かったからお釣りはいくらだい?」って計算問題を出してくる人もいましたね。

 

それから型抜き屋さんでは駆け引きが重要になってきます。

型抜き屋さんとは砂糖とかデンプンとかで作られた小さい板に物の形が彫られていて、それを針を使って型を抜いていくんですけど成功するとお金をもらえるシステムでした。

最初はおじさんが途中まで割ってくれて抜きやすいようにしてくれるんですけど、少額だと少し欠けてもオマケしてくれるけど高いのになると難癖つけてダメにされるんで、やる方は超真剣ですよ!

 

この型抜きには裏技があって裏から舐めると柔らかくなって抜きやすくなるんですけど、おじちゃんにバレると没収されてしまうんです(笑)

なのでバレないようにやるんですけど大人の知恵には勝てないわけですよ(^^;)

 

でも今になって思えばそんなやり取りがあって子供達は自然と学校ではできない勉強をしていくんだろうなぁって思います。

 

一時期露天商お断りの十日市があり商工会や商店街の人達が出店を出すという時があったんですけど、まぁ露天商の人達がいないお祭りって物凄くつまらないんですよね。

だってみんな知ってる人達ばっかりだから駆け引きもなければ楽しいやり取りもないんですからね。

 

学校では教えてくれないことを学ぶための場でもあった十日市の思い出でした。