みなさま、こんばんは。

今日は、ワークブックのレッスン12について、やってみた感想や気づきを綴ってみたいと思います。

レッスン12の課題は「自分の気が立っているのは、無意味な世界を見ているからである」です。

レッスン内容の詳細(本文記載)は、ここでは省きますね。(※ネットでワークブックレッスンの内容を公開しているサイトもありますので、そちらでご確認くださいm(_ _)m)
 

今回の指示は、まわりを見ながら、胸のなかで次のようにいう

 

 自分が見ているのは
 恐ろしい世界、危険な世界、敵意のある世界、
 悲しい世界、邪悪な世界、
 狂気の世界だと思える。

 

といった具合に、なんでも思いつく描写的なことばを使ってみる。もし、悲観的というより、楽観的と思えるようなことばが浮かんできたら、それも含むこと。たとえば、「いい世界」とか「満足できる世界」だと思えるかもしれない。もし、そんなことばを思いついたら、他のと一緒に使ってみるがいい。

と書いてあったので、次のようにやってみました。

自分が見ているのは、優しい世界、有難い世界、イライラする世界、静かな世界、気持ちいい世界、残念な世界、悲しい世界、信じられない世界だと思える。

 

やってみると、確かに悲観的というより楽観的と思えるような言葉も浮かんできました。

そして、そのあとの指示で、しかし、自分は無意味な世界を見ているので、気が立っている。を付け加えてみました。

付け加えたあと、「ん?どういうこと?」とよく理解できなったので、さらに読んでみると、次のように書いてありました。

あなたには今のところ、なぜこういった快い形容詞がこうした練習課題に属するのか、それが理解できないかもしれないが、「いい世界」は「悪い世界」があることをほのめかし、「満足できる世界」は「満足できない世界」があることをほのめかしているということを覚えておいてほしい。

なるほど~。確かに!おっしゃる通りですね。@@ワオ!

 

さらに、こうも書いてありました。

無意味なものはよくもなければ悪くもない。
ではなぜ、無意味な世界があなたの気を立たせるのだろうか。
もしあなたがこの世界を無意味なものだとして受け入れることができ、自分のためにその上に真実を書いてもらえば、あなたはことばでは言い表せないほどしあわせになれる。
しかし、それが無意味だからこそ、あなたはそこに自分がそうあってほしいと思うことを書かずにはいられない。
あなたがそこに見ているのはこれである。これこそ、本当は無意味なこと。
あなたの言葉のしたには、神の御言葉が書かれている。
真実であることが今はあなたの気を立たせているが、あなたの言葉が消されたなら、神の御言葉がみえるだろう。


「しかし、それが無意味だからこそ、あなたはそこに自分がそうあってほしいと思うことを書かずにはいられない」とは、それが無意味だからこそ、自分で「悲しい」とか「残念な」とか「優しい」とか「有難い」とか、そうあってほしいと思うことを意味付けしているということ??え?そうなの??

・・・よくわかりまシェ~ン・・・ヒィー(>ω<ノ)ノ

そして、次の言葉も気になりました。

あなたの言葉のしたには、神の御言葉が書かれている。
真実であることが今はあなたの気を立たせているが、あなたの言葉が消されたなら、神の御言葉がみえるだろう。

 

わたしの言葉が消されたなら、神さまのお言葉がみえてくる??

え?それって、どういうこと?わたしの言葉のしたに、神さまのお言葉が書かれている??

神さまのお言葉って、どんな言葉?(*゚д゚)??

ますますワカリマセ~ン・・・><

でも、早く解放されたいので、次のレッスンへ進もうと思います。(´∀`;)


本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

みなさま、こんにちは。

今日は、ワークブックのレッスン11について、やってみた感想や気づきを綴ってみたいと思います。

レッスン11の課題は「自分の無意味な思いが、無意味な世界を自分に見せている」です。

レッスン内容の詳細(本文記載)は、ここでは省きますね。(※ネットでワークブックレッスンの内容を公開しているサイトもありますので、そちらでご確認くださいm(_ _)m)

 

今回も指示通り、初めに目を閉じて、その課題(想念)を胸の中でゆっくりと繰り返し、そのあと、目を開けて近くや遠くに目をやったり、上を見たり下を見たり、辺りを見回してみました。

 

やってみた後、そういえば周りのモノや人や出来事について、自分は今まで勝手に意味付けをしてきたんだよな~って、バカバカしく思えて笑えてきました。(笑)

意味付けの意味って、必ずしも正しいわけでもないのに・・・。( ̄▽ ̄;)苦笑。

 

 

そういえば、レッスン4の課題「こうした思いにはなんの意味もない」の内容を思い出しました。

 

もしあなたが自分のいろいろな思いを、よくみてみるように自分自身を訓練すれば、どの思いにもあれこれ入り混ざっており、「いい」とか「わるい」と一口に呼べるものは一つもない、とわかってくるだろう。これが、そうした思いにはなんの意味もないという理由である。

 


そっかぁ!私はじめから、なんの意味もない思いを周りのモノや人や出来事にくっ付けて見ていたんだ~。@@

うわー、バカみたい。恥ずかしい~。(〃ノωノ)キャ~

 


そのあと、しばらく動揺していたのですが、レッスンの最初のほうをよく読んでみると、

この想念をその初めのかたちで実践することを本当に喜ぶがいい、この想念のおかげであなたは必ず解放されるのであるから。と書いてあり、なんだか慰められたような気がして、ホッとしました。ε= (´▽`;) ホッ 


いま、正直、心から本当に喜べるどころか、まだ動揺のほうが勝っているけれど、必ずやさまざまな思いや信念から快く解放されたいです!!

解放へ向けて次のレッスンにもチャレンジしていきたいと思います。^^


本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
 

みなさま、おはようございます。

今日は、ワークブックのレッスン10について、やってみた感想や気づきを綴ってみたいと思います。

レッスン10の課題は「自分の思いにはなんの意味もない」です。

レッスン内容の詳細(本文記載)は、ここでは省きますね。(※ネットでワークブックレッスンの内容を公開しているサイトもありますので、そちらでご確認くださいm(_ _)m)
 

今回も指示通り、まず、○○についての自分の思いにはなんの意味もない。をやってみて、そのあと、この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。を付け加えてみました。

 

例えば、このように。

 

旦那についての自分の思いにはなんの意味もない。

片付けについての自分の思いにはなんの意味もない。

お金についての自分の思いにはなんの意味もない。

GWは何をして過ごそうかについての自分の思いにはなんの意味もない。

世界で起きている戦争や自然災害についての自分の思いにはなんの意味もない。

 

と、まず、やってみましたが、「自分の思いにはなんの意味もない」と言われたら、「ウソでしょーーーー⁈」ってなりました。

 

正直、信じられマセン・・・。Σ( ̄ロ ̄lll)

 

しかし、そのあと、続けて付け加える言葉があったので、それを当てはめてみました。

 

旦那についての自分の思いにはなんの意味もない。この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。

片付けについての自分の思いにはなんの意味もない。この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。

お金についての自分の思いにはなんの意味もない。この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。

GWは何をして過ごそうかについての自分の思いにはなんの意味もない。この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。

世界で起きている戦争や自然災害についての自分の思いにはなんの意味もない。この想念は、自分がいま信じているすべてのことから、解放される助けになる。

 

アレ?そう言われると、なんだかホっとするな~。(´∀`*)

できるなら、自分がいま信じているすべてのことから、解放されたい!!

 

そう願って、次のレッスンもチャレンジしてみようと思います。^^


本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

みなさま、おはようございます。

今日は、ワークブックのレッスン9について、やってみた感想や気づきを綴ってみたいと思います。

レッスン9の課題は「自分は何一つ、今あるがままに見てはいない」です。

レッスン内容の詳細(本文記載)は、ここでは省きますね。(※ネットでワークブックレッスンの内容を公開しているサイトもありますので、そちらでご確認くださいm(_ _)m)

 

今回も指示通り、自分はこの/あの○○を今あるがままに見てはいない。をやってみました。

 

例えば、このように。

 

自分はこのテーブルを今あるがままに見てはいない。

自分はこのパソコンを今あるがままに見てはいない。

自分はこの手を今あるがままに見てはいない。

 

自分はあのカレンダーを今あるがままに見てはいない。

自分はあのカーテンを今あるがままに見てはいない。

自分はあのエアコンを今あるがままに見てはいない。

 

やってみると、だんだん「そうかもしれない」と思うようになりました。

でも、ふと「今あるがままに見るとはどういうことなんだろう?」と思い、ネットで意味を調べてみました。

 

要約すると、「今あるがままに見るとは、物事や状況を偏見や先入観などで評価や判断したりせずに、そのまま受け入れて見ること」なんだそうです。

 

「なるほど~。確かに、わたしは人や物、事について今あるがままに見ずに、アレコレ頭の中で評価したり判断したりして、色眼鏡で見ているかもな~」と、ハッとさせられました。
 

わたしは日々を生きる中で、スーパーの店員さんも、あの隣の家のおばさんも、向かいの家のおじさんのことも、旦那のことも、目の前の人や物、事について、今あるがままに見ずに過ごしていたんですね・・・トホホ。(;´д`)

これまた、見透かされたようでビックリしました!@@

そして、このレッスンの「今あるがままに見てはいない」が、ズドーンと胸に響きました。。。。><

 

今日から、目の前の人や物、事について、色眼鏡で見ないように過ごしてみたいと思います。^^

 

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

みなさま、おはようございます。

今日は、ワークブックのレッスン8について、やってみた感想や気づきを綴ってみたいと思います。

レッスン8の課題は「自分の心は過去の思いに奪われている」です。

レッスン内容の詳細(本文記載)は、ここでは省きますね。(※ネットでワークブックレッスンの内容を公開しているサイトもありますので、そちらでご確認くださいm(_ _)m)

 

 

今回も指示通り、まず、自分は(人の名前)のことや、(対象になっていることの呼び名)や(感情の呼び名)のことを思っているらしい。をやってみました。


レッスンを行った日は、体調を崩していたので、それについてやってみました。

 

自分は(生理痛からくる腹痛、頭痛、吐き気)や(イライラ、気持ち悪さ、体調管理ができなかった自分を責める気持ち)のことを思っているらしいと。

 

そして、次に、

 

しかし、自分の心は過去の思いに奪われている。で終わりにする。

と、指示があったので、その通りにやってみました。

 

確かに、あとで冷静になって考えてみると、私は自分の中で「生理痛と言えば、こういう気持ちになる」という過去の経験から学んだ気持ちをまた繰り返して感じているな。ということに気づきました。

 

本当に、自分の心は過去の思いに奪われているんですね~。納得です。

 

他に、レッスン8の内容で納得した箇所は、

 

*人は自分の思いを外面に投影しておいて、それを見ているだけのこと。

*実際、過去のことを描いたり、未来のことを予想することには必然的になにが伴うのか、それに気づいている者はほとんどいない。実のところ、そんなことをしているときには、心は空白になっている、実際なにも考えてはいないのであるから。

 

です。


うっわ~、私の心が過去の思いに奪われているとき、実は心は空っぽで、何も考えてはいないんですね・・・。(-人-)チ-ン

 

 

レッスン8も、私にとって大きな気づきとなりました。(今回はショックが大きいです・・・@@)

 


次回のレッスンもショックが大きくなるのかな・・・。私はこれからどうなっていくのでしょう・・・。

 

 

本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。