1972年1月7日 金子みちよ・大槻節子への総括要求 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)


(金子みちよ(左)と大槻節子(右)はなぜ批判されたのか?)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-金子みちよ顔写真  連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-大槻節子顔写真


 今回は、遠山美枝子が死 亡したあとの全体会議での出来事である。遠山を「ブルジョア的女性の敗北死」としたため、それを受けて永田が、金子みちよと大槻節子へ総括を要求した。


■メンバーの状況(1月7日・榛名ベース)
【中央委員会(CC:Central Committee】
森恒夫  (赤軍)独創的イデオロギーを繰り出す理論的リーダー。
永田洋子 (革左)学級委員長的にメンバーを摘発、鼓舞。
坂口弘  (革左)永田と夫婦関係。暴力に疑問を持つが言い出せない。
山田孝  (赤軍)暴力に否定的な考えを表明するもはねかえされる。
坂東国男 (赤軍)森の懐刀として指示を冷酷・忠実に実行。
寺岡恒一 (革左)死体を皆に殴らせたこと、女性蔑視発言を批判される。
吉野雅邦 (革左)暴力に積極的に関わることで必死についていく。


【被指導部】
金子みちよ(革左)会計係。吉野の子供を妊娠中。
大槻節子 (革左)「女まるだし」と批判される。
杉崎ミサ子(革左)革命戦士を目指して寺岡との離婚を宣言。
前沢虎義 (革左)断固とした態度で暴力に加わるも疑問が生じる。
岩田平治 (革左)言動が森に評価される。
山本順一 (革左)運転手役。山岳ベースに理想郷を夢みて合流。
山本保子 (革左)山本夫人。子連れ(頼良ちゃん)
中村愛子 (革左)永田のお気に入りといわれる。
寺林喜久江(革左)
伊藤和子 (革左)

加藤倫教 (革左)次男。指導部に疑問もついていくしかないと決意
加藤三男 (革左)三男。兄の死に「誰も助からなかったじゃないか!」
行方正時 (赤軍)★緊縛中★ オドオドした態度を批判された。
植垣康博 (赤軍)次第にベースの雰囲気になれる。
山崎順  (赤軍)雰囲気に圧倒されてオドオドしている。
青砥幹夫 (赤軍)合法部との連絡役でそつなく立ち回る。


【死亡者】
尾崎充男 (革左) 敗北死(12月31日・暴力による衰弱、凍死)
進藤隆三郎(赤軍) 敗北死(1月1日・内臓破裂)
小嶋和子 (革左) 敗北死(1月1日・凍死) 

加藤能敬 (革左) 敗北死(1月4日・凍死or衰弱死)
遠山美枝子(赤軍) 敗北死(1月7日・凍死or衰弱死)

■「もう、総括はないだろう、との希望を持った」(青砥幹夫)

 遠山美枝子さんが亡くなった1月7日夜の全体会議で、森君が、「(死んだ)5名との共産主義化の闘いを踏まえて殲滅戦を具体化する」と宣言した。(中略)
 青砥幹夫君は、のちに連合赤軍統一公判裁判の証人尋問で、このときの気持ちを問われ、「もう、総括はないだろう、との希望を持った」と、実感をこめて述べたが、これは森君を除く全面メンバーの気持ちを代表していた。
(坂口弘・「続・あさま山荘1972」)


■「あんた、頭がよすぎるのよ」(永田洋子)

 「女の男性関係は、女の人にも問題があり常に男だけに責任があるということにはならない。女の人の場合には、身に着けるものとか動作とかに問題が表れるのであるから、そういうところをもっている人は今のうちに総括しておきなさい。そういうことがいつまでも総括できないでいると、遠山さんみたいな傾向になってしまうことになる」といって、女性たちに総括を求めた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 女性たちがそれぞれ自己批判する中、大槻節子はパンタロンを買った ことを自己批判した。だが、永田はそれでは不十分だと納得しなかった。


 私はさらに大槻さんに総括すべき問題をいった。
「あんた、よく本を読んでいるけど、知識として頭で理解したってだめなのよ。あんた、頭がよすぎるのよ。何でも頭で知識としてパーパー理解してある程度までは進むけど、それ以上は進めなくなっちゃう。あんたは頭が良すぎるのがかえってマイナスになっている」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 これは、以前、森が永田に、「大槻は知識として本を読んでいるだけ」と批判したとき の受け売りであった。


■「男にこびる方法を身につけてしまっている」(永田洋子)

 大槻は、永田の批判にピンと来なかった。そして、渡辺正則 との関係について自己批判した。


 「私が渡辺と関係をもったのは、渡辺のかっこよさにひかれたにすぎなかった。渡辺の私への要求は、結局、シンパ的な可愛い女にすぎなかった」


「あんた、可愛すぎるのよ。それにあんた、ずっと男ばかりの兄弟に囲まれて育ってきたから、男にこびる方法を無意識のうちに身につけてしまっている。だから、あんたは動作やしぐさなどなんでも男に気に入られるようにやってしまっている。このことを総括しなくちゃだめなのよ」


この時、寺林さんが、大槻さんに、
「私や中村さんは自慢できるものが何もないから、それだけ総括できる。大槻さんも私たちみたいに単純バカになって早く総括しちゃってよ」
と励ますようにいった。大槻さんは、「私にはまだよく判らないけれど、ちゃんと総括します」と答えた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 大槻は誠実に自己批判したものの、永田とかみ合わなかった。それえは当然で、永田は、頭がよすぎるとか、可愛すぎるとか、およそ欠点とは思われない点に批判の矢を向けていたのである。


■「あんた、まだ総括していないわね」(永田洋子)

 金子さんの番になったとき、彼女は、「私が吉野さんと別れるといったのは、私は吉野さんの足をひっぱってきたからです。私は、吉野さんとは運動にかかわる前から関係をもっていた。運動の中ではお互いを高めあうようにしてきたけど、この関係に甘えてきた。私は、完全に総括できないので吉野さんと別れたいと思います」といった。
 私は再び、「あんた、吉野さんと別れるといってるけどそうじゃないのよ。あんた、まだ総括していないわね。あんたは、離婚しなくても総括できる力があるのだから、離婚する必要はないのよ」といったが、金子さんは首をかしげ、うつむいて考え込んでいた。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 永田は、金子に何を批判しているのかよくわからない。離婚表明にしたって、同じ理由で杉崎ミサ子が寺岡恒一と離婚表明したのは認めているのに、金子の離婚表明は否定するのである。


 2人とも兵士たちのなかでは活発に活動していたし、指導力もあったので、私は、どうして彼女たちが評価されないのか理解できなかった。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 全体会議を終わることにした時、私は、「大槻さんと金子さんは総括できるのだから、早く総括しちゃいなさい」といった。私は、彼女たちの批判をはっきりと理解できないまま、こういわずにはいられなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「女が男に対して行う女の顕示を克服しなければならない」(森恒夫)

 遠山批判を経て、森が構築した革命家の女論 は、「自己批判書」で明かされているが、原文は長いので、永田の説明を引用する。


 森氏は、敗北したあとで作成した「自己批判書」の中で、女性問題を特に重視した理由について、次のように述べている。


 「男や女が明確な基準もなしに「好きだ」という事で関係を結ぶのは、本能的な欲望に基づいたブルジョア的な男性観や女性観によるものであり、そうした関係は男女相互の共産主義化にとって障害になる、共産主義化された男女関係のためには女が革命戦士として自立する必要があり、そのためには、何よりも女が男に対して無意識に行う<女>の顕示を克服しなければならない。」
と。
(永田洋子・「氷解-女の自立を求めて」)


 早い話が、恋愛は革命の邪魔だということであり、恋愛は女が男に従属するものだと考え、そのため女が自立できないと決めつけている。


 革命家の女論を受け入れたとしても、問題は、「女の顕示」を判定する基準があいまいなことである。つまるところ、森や永田の恣意的な判断なのである。


 森は初めて革命左派のベースにやってきたとき、金子と大槻を大いに認めていた。それが、この理論を構築してから、批判に転じている。


■「不美人の私が美人の大槻さんに嫉妬したのではない」(永田洋子)

 逮捕後のメンバーの多くは、金子と大槻への総括要求は、永田の嫉妬であると証言している。これに対して、永田は最終意見陳述において以下のように反論している。


 ところで、こうした大槻さんへの批判が、何か私の嫉妬から行われたかのようにいい、不美人の私が美人の大槻さんに嫉妬して、批判し、殺したというまことしやかな中傷的解説が、まかりとおっている。もちろん、こんな解釈で連赤問題の本質を解明できないのは、当然である。だが、私が不思議に思うのは、こうした森氏の大槻さんへの批判に同調した他の男性のC・Cが、そんなことがなかったかのように口をぬぐっていることである。
(永田洋子・「最終意見陳述」)


 永田が言わんとしていることは、森が大槻を批判しているとき、むしろ擁護する立場をとったのであり、他のC・C(中央委員)は、森に同調していただけだったではないか。それを今さら、私の嫉妬のせいにするのはフェアではない、ということである。


■美人であることが批判された
 大槻節子と金子みちよに対する総括要求はわかりにくい部分である。森の理論にしても、永田の言い分にしても、美人であることがいけないとしか思えない。これでは、批判されるほうも、どう総括したらよいか困惑するばかりだ。


 大槻と金子は共通点が多い。大学が同じ(横浜国大)、美人でスタイルが良い、頭が良い、積極的な活動、リーダーシップがある、などであり、多くのメンバーから認められた存在だった。


 そしてもうひとつ忘れてはならない共通点は、2人とも永田に対してイエスマンではなかったということだ。大槻は、意見書 を書いた本人であり、金子は革命左派時代からたびたび永田に意見していた。


 永田は彼女たちの能力を認めていたが、その一方で、嫉妬があったり、自分の立場を脅かすという警戒があったりした可能性が強い。森の革命家の女論にしても、これまでもそうだったように、永田の直観や感情を理論化したものだったかもしれない。


 遠山美枝子を厳しく批判していた金子と大槻は、一転して批判される立場に立たされたのである。