1972年3月21日 青砥幹夫、加藤倫教、弟の3人が転向 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

 いつもは記事の選択に悩むのだが、この日は3紙合わせてこれだけ。朝日と毎日には連合赤軍の記事はなかった。



■「植垣」つくり「青砥」投げた 明治公園の爆弾 前沢自供(読売)

 前沢虎義は21日「爆弾は赤軍派の植垣が作って、青砥が投げた」と、初めて実行行為者を名ざしで、自供した。明治公園事件は、沖縄返還闘争反対デモの昨年6月17日、警備中の機動隊に鉄パイプ爆弾が投げられ、機動隊員37人が重軽傷を負ったもので、爆弾は精巧な鉄パイプ爆弾だった。


 見出しのカッコは何かと思ったら「初めて実行行為者を名ざし」したからのようだ。1971年06月17日は沖縄返還協定の調印の日であり、各地で騒ぎが起こり、明公園爆弾事件もその内の1つだった。翌日の読売には全国で837人が逮捕されたと報じられている。


 どうでもいいことだが、当時の「読売新聞縮刷版」は紙質が悪く、文字がかすれて読みずらい。けどそれがなんともいえぬ風情があり気に入っている。


■また転向3人(読売)

 連合赤軍事件で長野県警に逮捕されている青砥幹夫、加藤倫教、弟の3人が21日までに、取調官にたいして「連合赤軍派もういやだ。2度と組織には戻らない」と転向を表明した。

 3人はリンチ殺人事件について全面自供しており、青砥は「連合赤軍はもううんざりした」といっている。


 彼らは「連合赤軍の行為」に嫌気がさしたのであり、思想・信条が変わったわけではないので、いわゆる「転向」とは違うのではないか。