1972年2月18日 永田と一緒に逮捕の男は赤軍派幹部の森 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

■赤軍派幹部の森 永田と一緒に逮捕の男 資金持参で身売り?(朝日)


連合赤軍事件スクラップブック-1972-02-18 朝刊03


京浜安保共闘の最高幹部永田洋子といっしょに逮捕された森恒夫は赤軍派の最高幹部だった。赤軍派と京浜安保共闘の危険な連合はすでに昨年始めごろからある程度予想され始めていた。昨年夏、京浜安保共闘と赤軍派が戦術面で近寄り「連合赤軍」を結成したあとも、京浜安保共闘からこのM作戦を批判され、赤軍派は「自己批判」したとも伝えられている。加えてM作戦で強奪した金は森ら幹部数人で山分けしたという情報すら、もれていた。こうしたことから赤軍派の中での森の指導的立場がゆらぎだし、京浜安保共闘に持参金月で自ら接触を求めていき、森派の同志をさそって京浜安保共闘グループの中に投じていたのでは-との推測も当局の中に出ている。


■へんな子持ち女(朝日)
猟銃強奪事件などで全国に指名手配されていた京浜安保共闘などの幹部が、16日から17日にかけて逮捕されたきっかけの1つは、グループと行動をともにしていたともいわれる子供づれの同派女性活動家を"自殺防止"で保護したことだった。


この女性活動家は無職N子(22)。N子は7日午前7時ごろ、生後2ヶ月ぐらいの赤ん坊をを抱き、国鉄渋川駅でタクシーを拾った。「この寒中にこんな薄着姿で・・・」とタクシーの運転手は不審を感じ、「榛名湖半へやってほしい」と聞いて「これはてっきり自殺」と思い込んだ。すぐ車を高崎署臨時派出所へつけた。同署は、自殺防止のための保護手続きをとって本人から事情を聞いた。N子は素直に名前、住所を述べ、友達のT子さん(22)を身元引受人にあげた。N子はT子さんに「とにかく疲れ果ててしまったのよ」と沈みきっていたが、夕方高崎駅で別れている。


このN子が8日ふたたび榛名山にやってきた。この前日夕方の地元民の「不審な車と小屋発見」という情報ですでに高崎署員が現場に張り込んでいた。これが警視庁に連絡され、N子は昨年11月、京浜安保共闘の幹部、川島陽子(28)が都内で捕まった際、同じアジトにいて、火薬類取締法違反の疑いで逮捕、その後釈放されていることがわかった。


この情報は朝日がいち早く取り上げた。「ヘンな子持ち女」は後に新聞を賑わすようになる。


■がっくり、森の父親(毎日
17日午後9時過ぎ、玄関先に出てきた父親(58)は「いまは何もいいたくない。ただそれだけです」と悲しみを押し隠すような重々しい口調でポツリ、ポツリ。部屋に戻る姿はガクンと肩が落ちていた。


■銃で武装、3人潜伏か 妙義山狩り(読売)
・・・16日、3人が逃げたのと同時刻ごろ、湖から役1キロ山頂よりの林道で、腕を組んで、歌を歌いながら山中の篭岩(こもりいわ)へ向け歩いているアベックを土木作業員が目撃している事実をつきとめた。この作業員に、活動家の写真をみせたところアベックは森と永田であることを確認、2人はそのまま妙義山へ上って、篭岩のほら穴に入り、潜伏していたと見ている。


もちろんこのとき「腕を組んで、歌を歌いながら」などという余裕はなかったから、土木作業員に出くわしたのでとっさにアベックを装ったものに違いない。


■その他の記事
森、永田ともかなり興奮した様子。完全に黙秘を続けたため30分で打ち切られた。(読売)

森、永田は長い逃亡生活の疲れからか留置先の前橋、高崎署でグッスリ眠り、食事もペロリとたいらげた。しかし調べには黙秘を通し、とくに永田は口をとがらせ調べ官をにらみつけている。(毎日)

豪勢に"妙義別荘" 暖房、テレビ付 奪った金をハデに使う。(毎日)