
自分もだんだん失ってた記憶を思い出して来ました。
誰もが、感染する確率が有るのに…
余りにガン患者の合併から生還者が少いので
知られて無い事が多いい。
だからブログで残したら
もしかしたら
誰かの役に立つかも知れないと思い書く事にしました。
まずは去年の2月頃の事。
初めの抗がん剤12クールが終り…
身体も血管もボロボロになり抗がん剤が出来なくなって来ました

腹膜に転移が見付かり…
その後肺に9ヵ所転移が見付かり、半分『命』と言う物を諦めてました。
でも,二種類目の抗がん剤をチャレンジする事に決めました。
今度は腕が細くなり血管が硬くなり点滴が出来ませんでした。
静脈に直接管を入れる為に右の肩の付け根にポートを埋め込む手術をし、そこから抗がん剤を流す事になります。
二種類目は少しキツ目の副作用でした。
二泊三日で抗がん剤を射したまま帰宅して生活や仕事をして3日目に抜いて消毒してもらいます。
3クールもやった頃から体力が落ちて、
『俺…やばいかな?』
心を落ち着かせる為に

シークレットに小林正観
ニーチェの言葉に
ブッタの言葉
その頃かな…
ラドン治療や酵素治療
高ビタミン治療
毎日治療に通って仕事して
何とか病気を治す為に色々やってました。
そんな時に
『親父が死んだ』
同じ病気だった。
葬儀は大変だった

仕事関係に親父の友人
近所の方に親戚に400人近く居たかな…?
全部終わって、治療をまた始めた…
その頃には
もう限界で記憶が無いのですが…
手帳には
毎日日仕事先に行き



今考えれば疲れ過ぎて逆効果ですよね。
免疫も逆に落ちてたと思う。
抗がん剤をポートから抜くときに手術後が少し切れて血が出たが、その時は気にならなかった…
ちゃんと覚えているのはここまで…
次の日も酵素の砂風呂に行き
ラドン治療もサウナみたいのに入るが身体に凄く良い感じで、疲れ過ぎても行ってた。
『傷口から細菌が入った事にも気が付かないほど…』
普通なら傷口なんて舐めたら治るが…
細菌は
悪性腫瘍の科学治療で免疫力が落ち合併すると言う。
ちなみに
他にも肺炎や腹膜炎でも感染すると言われます。
だから
『抗がん剤をやってる方は他人事では無い』
始めは悪寒…そして発熱
血圧低下し多臓器が傷害される。
この時に敗血症性シッョクで4人に1人は死亡する。
そして発熱は40を越えて脈拍は100を越える。
俺は覚えて無いが
意地を張り、1週間近くガマンしてたらしく


奥さんと義理の弟と

病院に行き直ぐに入院

取り敢えず1日目の夜は検査も出来ず病棟。
2日目の朝から直ぐに検査
緊急
ICUに移動
輸血で全身の血液入れ替え
3週間毎日輸血
点滴も色々…
他にも意識が無いが痛み止のモルヒネ

3日目には家族が呼ばれ親戚が皆集まったと聞く。
『そけで呼吸が停まった…』
主治医が
『延命治療はどうしますか?』
との病院の質問に…
家族が
『死なないから治療を続けて下さい』
と頼む。
『一度人工呼吸器を付けると外せませんけど…』
奥さんが
『大丈夫!お願いします』と
会話がいっぱい有ったらしい。
そのまま気管切開し人工呼吸器を付けてもらった。
しかし1週間…2週間…
全然意識は戻らない。
その頃には
点滴…輸血…点滴と身体は水膨れで目は閉じなくなり
開きっぱなし…
『病気が治っても失明するかも知れない』
と主治医に言われた。
その後も全身が浮腫み
まるで『ドラえもん』
姉貴がビックリし一応と…写メを撮ったら家族に怒られたらしい。

3週間目にやっと意識が回復した!
このままだと植物人間になるだけとの事で先生達と家族が相談して痛み止を辞めたらしい…
痛みでショック死か目覚めるか…
『心臓が停まるかも』
勝負の治療かも知れない。
だが、家族が
『この人は心臓が強いから大丈夫』と…
結果
成功

3週間ぶりの目覚めであった。

見れた。
なぜか…?
3週間主治医が休まず付きっきりで治療して他の科の先生も交代で治療してくれたそうだ。
特例で俺用に看護士の男の子が
付き添い看護で目にはクリーム
毎日手足が動かなく成らない様に浮腫をマッサージして薬を塗り包帯を巻いてくれたらしい…

そして3週間ぶりに主治医の先生が家族に
『良かった。僕も1日休んで良いですか』
と言ったらしい。
本当に主治医や家族にICUの看護士さん達に感謝してます。
皆さんの努力が奇跡的に俺を,よみがえらせたのだと思う。
これ…
長くなるので続きは明日書きます。
ただね…
抗がん剤を治療中の人と家族の人には
敗血症の症状を知っててもらいたい。
速い対処なら俺みたいに成らないですむ。
ちなみに俺はあと1日遅れてたら治療が出来ずに死んでいたそうです。