熊野詣の出発点 「堀越(ホリコシ)神社」 大阪市天王寺区茶臼山町。 | Tokiko Kanzeのブログ

Tokiko Kanzeのブログ

ブログの説明を入力します。

  堀越神社は聖徳太子が四天王寺建立と同時に、太子の叔父に当たる崇俊天皇を偲んで当地、茶臼山に創建されました。明治の中頃まで境内南側に堀があり、堀を越えて参拝したので「堀越神社」と名ずけられました。


  〈御祭神〉

                    第三十二代  崇俊天皇(スシュンテンノウ)

       配祀: 小手姫(コテヒメ)皇后

                     蜂子(ハチコ)     皇子

                     錦代(ニシキデ)  皇女




「表参道」と「鳥居」大阪和泉泉南線(谷町筋)沿い 。              


拝殿前の注連縄



堀越神社「拝殿」



「拝殿」と「御本殿」


「表参道鳥居」
鳥居横に御神木、鎮宅霊符尊神(ちんたくさん)、茶臼山稲荷神社、白龍社(写真左端の木の陰)。右へ進むと「拝殿と御本殿」。



右から「ちんたくさん」「白龍社」


鎮宅さん横に「御神木」クスノキ。樹齢550年。落雷と二度の大火災に見舞われました。




「太上神仙   鎮宅霊符尊神」陰陽道最高の護符とされる。




「白龍社」白蛇を祀る社。



「拝殿」





〈四天王寺  熊野神社〉

       熊野権現を祀る「熊野神社」は四天王寺の西門鳥居近くに鎮座されていたと伝えられますが、大正4年(1915)堀越神社に合祀されました。四天王寺の南、国道25号線沿いに建つ「南大門」の内側に「熊野権現礼拝石」があり、古代には南大門から熊野街道(阿倍野街道)が南に伸びていました(日本歴史地名体系28   大阪の地名1)



 〈熊野第一王子之宮   窪津王子〉

     平安時代の窪津王子は現在の天満橋(大阪市中央区)付近に有り、後に四天王寺西門付近の熊野神社に移されました。更に熊野神社移転に伴い当地堀越神社に移されました。  

     熊野第一王子之宮  窪津王子は熊野九十九王子の第一王子で熊野詣の出発点、此処で潔斎(お祓い)をして熊野三山を目指したそうです。


  〈平安時代の熊野詣〉

     平安時代の熊野詣では、都(京都)から淀川を下り渡辺の津(大阪市中央区天満付近)からは陸路を取り、窪津王子、堺王子、大鳥皇子、和泉市の王子(信太、平松、井の口王子)を経て山中渓(ヤマナカダニ)を通り、紀伊田辺を経て熊野本宮に到達していました(和泉市の考古・古代・中世より)



「熊野第一王子之宮社」熊野権現の分霊を祀る社。





「熊野第一王子之宮」の社を横から写す。木製門扉の奥。(境内北側出口から写す)


「黒龍社」黒蛇を祀る社。


境内北側の出口横の石碑。


熊野第一王子之宮前の南天の木。





堀越神社境内北側外から眺める。ザクロの木が繁茂して緑と赤のコントラストが素敵な境内でした。北隣りは茶臼山公園ゲート前の駐車場です。コンビニ  ファミリーマートが出来ていました。


境内ザクロの木。今は花がとても素敵です。



神社神社猫あたま神社神社神社神社神社猫あたま神社神社神社神社神社猫あたまありがとうございました猫しっぽ神社神社神社猫あたま神社神社神社猫あたま