「春日(カスガ)墓地壁画」② 大阪府泉大津市春日町 2016年5月 | Tokiko Kanzeのブログ

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「盾並橋(タテナミバシ)」
   寿永2年(1183)、平家方(平忠行)と源氏方(今井兼滋)が戦った所。平忠行が民家の戸板を堤に並べて盾としたところから「盾並橋」と名ずけられました。忠行は、この戦いで戦死しました











「伊能忠敬」(イノウタダタカ)
   1805年8月大津海岸の測量をする。↓


「後藤又兵衛基次(ゴトウマタベエモトツグ)」
1596年大津村上市の某家に隠れ住んでいたとの伝説あり。


後藤又兵衛は泉大津に「真田紐(サナダヒモ)」を伝承した人。大坂夏の陣で河内国道明寺で戦死(豊臣方)








古代の大津海岸と勅使道(御幸道)などの壁画。



「勅使道(御幸道)」
  大津浦を起点に南東に延びる道路で小津の泊と国府を結ぶ道、泉大津最古の道。
 現在の三宝伸銅(旧北泉紡績)を起点に南海電鉄を横断し、泉大津市立病院前を通り穴師神社に   至る国司はこの神社で任期4年の無事を祈り、豊中,古池(スーパー・イズミヤ)の北部を通る。JR俊徳道阪和線、13号線に至り、今の「和泉電信電話局=NTT」の向かえにある【足洗い】の広場から国府清水を経て熊野街に至る道。

  【足洗い】=勅使渕とも言われ、この道は条理に沿った直線の道路で「和漢三才図絵」や「泉井上神社縁起」などによれば神武天皇、神功皇后がこの道を進まれたとも記されている。降って奈良時代には元正、聖武天皇の両天皇は「珍努の宮」に御幸された道とされている〈泉大津風土記(古代・中世編)〉


「小津の泊」(オズノトマリ)







「式内  穴師大明神(泉穴師神社)
  白鳳元年(672)の創建とされ、和泉五社の第二社として古来より知られる。


極楽山地蔵院(上品寺)の仏像。


春日(カスガ)墓地敷地内にある「上品寺(ジョウボンジ)・本堂」










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