大阪府泉大津市の文化遺産をテーマにした壁画を発見しました。墓地を囲う西側(消防署前)の道路の向かえ側です❗❗❗とても明るい色使いと分かりやすい現代版絵巻物とも言える大人も見ていて楽しくなる壁画でした(=^ェ^=)今日は伊勢志摩サミットも近いので泉大津市内の墓地に眠る「ロシア兵墓地」の壁画と現代の写真をブログにします。
「泉大津消防署前の道路と墓地を囲う壁画」
春日墓地敷地内の「上品寺(ジョウボンジ)」奈良時代に行基が建立したとも、平安時代に弘法大師が建立したとも伝わる広大な寺域をもつ幻の寺跡地「極楽山地蔵院(上品寺)」の鐘楼台。
春日墓地敷地内の「ロシア兵墓地」と「五稜の慰霊碑」
ロシア政府が建立した「五稜の慰霊碑」
慰霊碑の下段には、ロシア語、アラビア語、ドイツ語、ヘブライ語などの5か国語で「霊よ安かれ」の意味の碑文が刻まれています。
「ロシア兵墓地」
日露戦争で捕虜となり、浜寺で病没したロシア兵89名が眠る墓地。
ロシア兵墓地の建設の由来を漢文で石に刻まれた「記念碑」
石がボロボロになっていて少し読みにくいです。
記念碑の裏側。
「現代の大阪湾岸と泉大津市キャラクター」
古代には茅渟(チヌ)の海と呼ばれ「小津の泊」(オズノトマリ)=船着き場のあった大阪湾岸。
★小津の泊=京より国府に赴任する官人達の船着き場であり、府中の浜とも言われた(泉大津風土記)
平安時代の「更級日記」(サラシナニッキ)の作者:管原孝標の娘(スガワラノタカスエノムスメ)と紀貫之(キノツラユキ)
管原孝標の娘は1051年の秋に和泉国府(現・和泉市)を訪ねる。
紀貫之は838年2月土佐守の任期を終えて都へ帰る時、当市の海上を通る。
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