テレビは洗脳兵器である.これまでテレビの悪については幾度も話題にして来た.
そういった中で,国民的アニメ「サザエさん」はまさかそんな悪辣な策謀の為のものじゃないよ,と思われがちであるがどうだろうか.アメリカのDSは戦後の日本を弱体化する為に,日本の父親の存在感を著しく貶める策を講じて来たに違いない.戦前の古い日本では父親は家族の中で最も偉い,厳しいというのが絶対であった筈である.しかし,サザエさん放映後の日本では各家庭の父親が極端に弱くなって来たように私は感じるのである.
その要因はサザエさん一家の「マスオ」である.マスオはフグ田家の人間である.フグ田マスオの実家は福岡県にある.マスオの勤務地が東京であった所為で,世田谷にあるサザエの実家である磯野家と同居しているということになっている.私は昭和の時代背景から考えると,この構図は極めて異質であると感じる.
先ず,福岡出身であれば福岡の会社に勤めればよい.態々,東京のど真ん中で毎朝電車に揺られ乍ら出勤する必要はない.昭和30年代の日本の風景を題材にして描いているとされているが,昭和30年代も福岡県には幾らでも働き場はあった筈だ.博多はド田舎ではないのだから.何も,サザエに迎合して東京に住み着く必要はないではないか.少なくとも,親とは別居でアパート暮しでもいい筈だ.
更に,磯野家でサザエの力があまりにも強過ぎる.磯野家に居候させてもらっているという立場であり乍ら,磯野家を代表するキャラクターになってしまっている.このテレビアニメを唯何となく観ている小さい女の子は,結婚しても旦那を実家に住まわせて大人しく私の我儘を聞いてくれたらいいわ,といった安易な判断をして来たケースが割合多いのではないだろうか?そして,そういった女性と結婚してもいいという軟弱な男の割合が昭和の時代からするとだいぶ増えて来たに違いない.若年男のチャラチャラが近年特に目立つ.私のような昭和生まれの中年男からすると実に腹立たしい限りである.
一方で,女性の中には結婚して苗字は変わったが親と一緒に住んで幸せに暮らしている,旦那も不平不満を言わず仲良くやっている,と豪語される方も多かろう.そうであるなら別に問題ない.私は個別の夫々の家族に対してどうこう言いたいのではない.日本全国に住む父親の存在感の全体的な衰退を憂いているのである.家庭の中であまりにも父親が隅に追いやられて意見が強く言えず,場合によっては母親が子供に対して強権を発動する所為で,何かバランスがおかしくなっているということに対して警鐘を鳴らしたい訳である.子育てにはやはり父親の役割が凄く大事であると思う.父親がしっかりと子供と向き合っていないから,学校でいじめや喧嘩などが絶えないのである.日本の父親はもっと強く生きるべきであるし,将来そんな強い父親になれる様に息子に子供の内から懇々と言い聞かせなければならない.
現在の社会情勢からすると,男尊女卑が常識であったという戦前戦後の時代は果たしてどうだったろうか.女性の社会進出は大いに結構な事であるが,女性を社会的に守る体制が十分に整って来た蔭で,男性父親が力を十分発揮出来ないような仕組みになって来てはいないか?そういう風潮が私には凄く不愉快なのである.マスオのように貧弱な父親だから,この社会の統治機構の不条理に気付かず,易々とテレビマスコミの情報を鵜呑みにして権力者の謀略に抗うことなくチマチマと呑気に生きることが常識とされてしまっているのである.そして,あろうことか〇ワクチンを平気で子供に打たせてタヒなせたりしているケースもある.全体の幸福を意識するのではなく,今だけ自分だけ自分の仲間だけといった我欲が罷り通る社会がこの日本に形成されてしまっている.
以上を纏めると要するに,我々は日本社会を根底から弱体化させ操ろうとして来たDSの目論見を見抜き,「マスオ」から脱却して日本独自の価値観を樹立し,揺ぎ無き「大和」の精神を世界の常識とすべく突き進んで行かねばならないのである.