中国については以前話題にした.日中間には色々な問題が山積しているが,基本的に我々は調和を重んじて中国人とは仲良くすべきである.お互いに反目すれば,そこに戦争ビジネスを生業とする邪な連中が付け込んでくるからである.

 

 

 ところで,中国語には日本語の「いただきます」や「ご馳走様でした」に該当する正式な挨拶言葉はない.また,中国語には日本語のように私・小生・僕・俺,貴方・あんた・貴殿等の自分や相手を表す言葉が「我,你」以外には殆どないのである.なので,礼儀を重んじる日本民族からしたら中国人は一寸失礼な民族である.中国は孔子が説いた教え「仁義礼智信」が浸透した国とされているが,中国語を勉強してみると,何やら様子が変である.中国人は何故日本人とこうも文化的に違うのだろうか?孔子の時代からすると中国はこの二千年数百年で大きく様変わりしたのではないか?
 現在の中国は孫文が日本に留学して後に中国で革命を起こし,戦後毛沢東の中国共産党が結成され成立した国であると私は認識している.

 

 


即ち,中国は日本の後をついて来た発展途上国であった訳である.その発展途上にあった中国が2000年以降の経済的勃興によって急激に大きな力をつけて来た所為で,現在様々な歪が各所に現れて来つつある.例えば,不動産バブルが弾けて,多くの未完成の住宅ビルが爆破解体される様子が報道で流れた.また,つい最近では宇宙開発の為と称しロケット打ち上げに成功したとして中国の覇権を誇示する動きが活発である.態度が実に幼稚だ.

 

 

 一方,中国料理と言えば動物の肉料理が存在する.牛豚鶏は当たり前で,犬・猫・鳩・家鴨・驢馬・羊・鼠・兎・駱駝・鰐・クサ亀・蛇・蛙・蜥蜴・蠍・昆虫類などあまり日本人が食さないありと悉ゆる動物の肉が頻繁に食卓に上がる様である.中国とは肉食を14億人全ての人間が容赦なくやっているという極めて野蛮な国家と言える.
 しかも,ここ最近は南沙諸島周辺を開拓する等,東南アジアの周辺国に対して大きな軍事力をあからさまに見せつけている.また,ウイグルやチベット等の内陸に住む民族を実に残虐な方法で支配して来ている.この点は民族問題として国連でも話題になって来た.何処までが真実かは不明であるが,中国の横暴は確かに存在すると私は感じている.
 では,この中国の横暴をどうやったら止められるか?嘗て,石原慎太郎氏が次のように述べていた.先ず,2004年にはサッカーアジアカップの中国人観客が反日感情を噴出させていた問題で,当時石原慎太郎都知事は記者会見で「民度が低いんだからしょうがないね」と不快感を露にした.更に,「ああいう独裁政権というものは自分を維持する為には仮想の敵を作らなくてはいけない.それが日本ということになっている」との見解を示した.また,都知事を辞任して再び国会議員になって以降には,1:00~

 

 

「中国をシナと呼んで何が悪い.中国とは広島県や岡山県のことだ.」等と発言されている.これらの発言当時,私は石原氏を然程評価していなかった.中国との軋轢が醸成されるだけで調和が保てないし,所詮,テレビ芸能人であった弟や息子らを持つ役者の如き政治家であるとして稍々蔑んでいた.だが,政治家が中国に対する強い姿勢を見せることは現時点では大変重要なのではないかと私は感じている次第である.昨年2月にこの石原慎太郎氏は他界されたが,彼に匹敵するほどの強い発言を中国に対して堂々と出来る政治家が今現在日本にいるだろうか?私は数年間続いているワクチン騒ぎの際の国会議員連中の振る舞いを見ていると,今の政治家の無能さ加減には心底辟易している.
 以上のような状況に鑑みて,私は中国の横暴は見過ごせないと感じている.中国人の姿勢を正すには何より日本人の振る舞いが最も重要である.中国人は日本人の真似をする.日本に追いつけ追い越せと今でも躍起になっている.否,もう追い越して世界を牽引するほどの力を有している.国家主席習近平氏はBRICS諸国の一員として世界を正しい方向に導いてくれるのだろうか.私はどうも日本人が正しい態度姿勢を示さない限り,おかしな方向に進むのではないかと危惧している.日本には神から宇宙学が伝えられた.

 

 

 

日本人はこの御神示に示されたことを世界に先駆けて実践しなければならない.地球人類にとって「宇宙開発」と「肉食」は絶対に御法度である.日本人の多くがこのことに逸早く気付き実践出来れば,世界の民はそれに従う.中国のような幼稚な民族にこのことを伝える為に日本人自ら範を示さねばならない.但し,中国との戦争を起こそうと目論む死の商人の金融〇〇〇人に唆されないように注意しつつである.故に,私は是非とも現在の連立〇〇党〇〇党には政権を天皇に返上して頂き,若くて新しい正しい判断が出来る優秀な政治家が天皇を輔弼して日本を牽引し,中国の横暴を非武力外交で糾弾して両国が共に発展するように,理想的なあるべき道に教導ほしいと考えるのである.