英語教育が重視された我が国の現在の教育システムは明治初年から続いているのだろう.このブログで以前も述べたように,私は江戸時代というのは我々が学校で習ったようなものではなかったという認識でいるので,19世紀初頭の日本の英語教育が如何なるものであったかについて私は分からない.

 

 

幕末に海外へ渡った偉人としてジョン 万次郎・福沢 諭吉・渋沢 栄一・伊藤 博文など若き志士とされる者共が,その後の明治維新で活躍したとされている.しかし,岩倉 具視や大久保 利通など明治新政府の参議海外渡航組は留守政府を預かる同参議西郷隆盛などと対立して明治6年に政変を起こし,後世に生きる我々に多大なる悪印象を与えることとなった.私は故郷鹿児島の英雄である西郷さんを心底支持する立場であり,岩倉率いる海外渡航組の横暴さを未だに許せないのである.海外に渡って諸外国の政治体制を見聞したことで日本の統治機構を根底から劇的に変革させようと決心するに至ったその岩倉使節団の自惚れが,現在の岸田政権の専制主義的政策に連綿と引き継がれている.英語で外人と会話が出来るというだけで,何故か日本国内では威張って姿勢高き権力者の座に居座ることになってしまっている.このような古い体質は何れ改められねばなるまい.
 当然乍ら,現政権は継続して英語教育には毎年多くの予算を配分している.幼い子供達に英語を習わせ,国際的に活躍出来る社会人を目指すべく教育するというのがその狙いであろう.高等教育機関では留学制度が充実しており,大学で各自その制度を利用して1年間の留学経験を積むのが慣習となっている.私は留学の経験はないが,旅行や研修を目的として海外を訪れたことはある.多くの絢爛豪華な建築物を見て大いに為にはなった.唯,その時の印象はどの国に行ってもやはり日本の方が人々の社会に対する「こうあらねばならない」とする理想像が平均的に最も優れているように思えたのである.
 ところで,現在国際的に活躍している科学者の一部は「幼い頃からの英語教育は間違っている」とはっきり述べている.その代表的な例が数学者の藤原 正彦 氏である.藤原氏の著書「国家の品格」に次のような一説がある.「…,最近の若い人達は,内容は何もないのに英語はペラペラ喋るから,日本人の中身が空っぽであることがすっかりばれてしまいました.内容が無いのに英語だけは上手いという人間は,日本のイメージを傷つけ,深い内容を持ちながら英語は話せないという大勢の日本人を,無邪気ながら冒涜しているのです.『内容無し英語ペラペラ』は海外では黙っていて欲しいくらいです.」
 また,政治哲学の専門家で九州大学准教授の施 光恒 氏はその著書「英語化は愚民化」で次のように警鐘を鳴らしている.「社会の第一線が英語化されれば,知的な活動を日本語で行って来た中間層は没落し,格差が固定化する.多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになる.」
 私は日本語こそが世界の共通語たるべく,この地球に存在しているのではないかというふうに信じている.その論拠を例の如く田原澄女史の神霊星界通信記録から抜粋して説明する.

   神霊星界通信記録 第7巻 序文

 「…日本は地球の中心で,日本民族が目覚めぬ限り日本地球は滅亡すると言われている忠言に鑑み,今の教育を先ず御破算にする…学制改革を本格的に取り組まねばならぬのである.…明治以来の欧米模倣の日本教育制度を撤回し,日本語だけで学べる宇宙学を基本に他を枝葉とした教育課程を編成することである.英語は寧ろ今後は不要である.


 また,波動の法則の足立 育朗 氏はその講演(Vol.2)の中で日本語はカシオペア座系の惑星文化が大本の起源であって,地球上の諸文明の言語の中でも特に調和の取れた優れた言語であると述べている.宇宙語のEgho⇒エゴやFugehekin⇒微生物⇒菌のように宇宙語から日本語に変化していったものが数多くあるとのことである.
 日本語の教育が世界に広まると困る邪な勢力が必死になって日本人に英語を仕込んで本質に辿り着かないように仕向けているように思えてならない.日本語は言霊である.英語を含む他の言語と同列で扱われることは断じて許されない.
 以上のことから,私は地球人類の共通言語は日本語にすべきであると考える.そして,無暗矢鱈な英語教育の普及を抑制し,小学校の低学年の子供に対し,より多くの漢字を覚えさせるように国語教育にもっと力を注ぐべきである.漢字が中国発祥とされているのはどうも疑わしい.漢字は日本で作られたのではないか.

文献
1) 藤原 正彦:国家の品格,新潮社,p.42,(2005).
2) 施 光恒:英語化は愚民化,集英社新書,(2015).
3) 高木 国男 編著:神霊星界通信記録-宇宙創造神取次の器械田原澄女史による-第7巻,宇宙学教室叢書第11号,p.6,(1974).