世の中の多くの科学者は「見えないから無い」と断定して,自分が見えているものだけに着目して全てを判断している.では,人間がその目で「見る」という行為はどういうことであろうか.次の図は大橋正雄著の「新波動性科学入門」のあるページに載っているものである.
可視光線というのがこの図の中央やや上にあるが,波長が大体1μm(ミクロン)程度で波動の周波数は10の14~15乗Hzである.Hzとは1秒間当たりの振動数のことである.即ち,我々地球人類の視覚の波動の周波数帯は極狭い領域であって,その程度の低い能力でしかものを見れないということである.
この極狭い周波数帯で見たものを恰も地上の全て,或いは,宇宙の真の姿だと断定しているのが多くの地球人と低能唯物論科学者である.波動の法則の著者である足立育朗氏の言葉を借りれば,「見ているということは何も見えていないことと同じである」ということである.将に,地球人類がこのことに逸早く気づかねばならない.
天体観測の分野では太陽系惑星の映像が頻繁にテレビやインターネットで出てくるが,この映像は当然乍らこの極狭い可視光周波数帯で見えたものである.したがって,例えば火星や木星は極限られた波動の部分のみが我々地球人類の視覚能力と合致して見えているだけであって,真の姿ではない.火星はその地殻の極低次元の領域が見えてあのように赤くなっているのであり,真の姿ではない.一説では火星はより大きい惑星であるらしい.また,木星はその上空の極低次元の領域が見えてあのように大きな雲が漂っているのであって,真の姿ではない.木星を訪れたある人の話では一つの島が地球の北米大陸のようであったと述べているように,我々が住む地球とその大きさは大して変わらないのではないか.
では,どうすれば宇宙の真の様子を広い周波数帯で「見る」ことができるのか.それは先ず,目を閉じることである.目を閉じれば可視光線の周波数帯では物は見えないが,ある種の波動を感じ取ることができる.前回,御神示「超能力の開顕」で取次の神様は「…静心にて瞑想をせよ.」と仰せられた.
この瞑想こそが見えない世界を見る為の一手段であると考える.だからこそ,宇宙の神様や優良星界人達は揃って同じことを言うのである.見えないから無いとして勝手に判断し,神はいない,霊界は無い,他の星には人は住んでいないとして,気ままに生きているのが地球人類の愚かで哀れな姿であると.嘗て,宇宙学教室の田原澄女史は瞑想し,念波天文学なる手法を確立された.念波を使って超能力で他星の様子を探るということである.この田原女史の多くの業績についてはいずれその詳細を述べる.
したがって,見えない世界は確実に存在する.
文献
大橋 正雄:新波動性科学入門,たま出版,(1993).