死について考える重い内容なので、そういうものを読みたくない方は、ここから先は読まないでください。


11月末にこの記事を読んだ人もいると思うのですが、その感想です。


人工栄養は、延命治療なのか?これは結構難しい問題だと思うのです。70代の母が脳梗塞の影響なのか因果関係はわかりませんが、原因不明で2週間程度で食欲が低下し、入院してからは点滴。点滴でも栄養が補えず、中心静脈栄養の書類に家族のサインをしたものの、それでも経鼻経管栄養を希望して、経鼻経管栄養をしています。口から全く食べられないわけではなかったから、一時的な措置だと信じて。ところが、摂食嚥下のリハビリもろくろくしてもらえずに療養病院を勧められたわけです。急性期の病院だから、嚥下のリハビリはあまりしないのか、診療科が違うのか。

こうなってしまうと、もし嚥下の訓練ができないとすれば、意識もあって、話もできるにも関わらず、経鼻経管栄養で、ベッドの上で生きるしかないわけです。

新型コロナが存在しなかった時代とコロナ禍では状況が違うと思いますが、今は入院病棟ではほぼ面会ができない状態で、家族と離れて一日中ベッドで過ごすことに本当に意味があるのでしょうか。冒頭に紹介した記事で紹介している本に、『ベッドの上で、点滴で生きている人生なんて、何の意味があるのですか? 』と逆に聞かれてしまいました。そして『スウェーデンも昔は高齢者が食べなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが、20年かけてしなくなりました』と言っていました」と書かれているとのことです。

今入院している病院には、「誤嚥性肺炎の危険性があるから、食べるリハビリは開始できていない。」と言われました。当然と言えば当然ですが、万が一のことがあるようなきっかけを医者が作りたくないということなのだと思います。でも、リハビリの期間は限られているんです。今トライしないで、いつトライするのか。。。

一時的な措置として始まった経管栄養というのは、やめるタイミングがありません。その一方で、点滴で十分な栄養が得られなくなった時に、人工栄養をしないという選択肢があったのかどうか。2017年の記事ではこんな風に書かれていました。

https://www.min-iren.gr.jp/?p=32627


日本老年医学会の調査(2010年)によると、認知症終末期の人工栄養法にかかわった経験がある医師の9割が、導入にあたって困難を感じたと答えています。
 困難を感じた理由は「人工栄養法を行わないことに倫理的な問題がある」が51%、「人工栄養法を行うことに倫理的問題がある」が31%でした。導入の是非をめぐって正反対の考えが拮抗しており、医師の揺れ動く様子が見て取れます。また、45%の医師が「人工栄養法に移行する時期の判断が難しい」と回答しています。

私の記憶では母の場合、中心静脈栄養の書類にサインをする時には、「栄養が足りなくなったらこうせざるを得ませんので、サインしてください。」と言われたけれど、どうしますか?とは聞かれなかったと思うのです。何をもって終末期の患者とするのか、とも関連しているのかもしれませんし、あの時、人工栄養に同意しない選択肢があったとしても選択しなかったとは思います。

でも今は、「家に帰りたい」と言っている母に入院してもらってることが正しい判断なのか、本当にわからないのです。