先日俳優の渡哲也さんが亡くなりました。

 

 

渡哲也さんといえばテレビ番組の
『西部警察』が代表作とされていますね。

 

 

「西部警察の新作製作を固辞していた」
という記事を見て、

渡さんらしいなと勝手に思っています。

 

 

もちろん渡さんのことを
知っているわけではありません。

 

 

そういえばテレビ局で仕事していた時、

打ち合わせできる部屋を探していたら、
渡さんが急に出てきて数十センチの所で
ぶつかりそうになったことがありました!

 

派手なスポーツカーや爆発シーン、
行き過ぎとも思えるアクションで
人気だった『西部警察』ですが、

個人的にはあまり好きでは
ありませんでした。

 

 

好きだった方ごめんなさい。

 

 

なぜ好きになれなかったかというと、
話や設定に現実感が感じられませんし、

若い刑事さんがみんなチンピラのように見えて
「怖いなぁ」と感じていたからです。

 

 

渡哲也さんが演じていた大門という役柄は
ハードボイルドそのものを体現したキャラクター
だったように思います。

 

 

しかし実際の渡哲也さんは
全く違った人柄だったようです。

 

 

石原裕次郎さん亡き後、
石原プロの社長としてずっと軍団を
引っ張ってきたのも律儀な性格だからでしょう。

 

 

そして『西部警察』の撮影中に起きた事故で
ファンに謝罪したそうですが、

その会見の様子から誠実な性格が
よく伝わってきました。

 

 

石原軍団色を廃した作品では、
それまでとは全く違った演技を見せていて、
とても好きでした。

 

 

『西部警察』や「石原軍団」はもしかすると、

渡さん個人の人格とは合わないことを
無理をしてやっていたのではないか

と想像しています。

 

 

外見とは似合わず、
大きな病気を何度もされているのも
それが原因だと考えられるからです。

 

 

そして渡さんが亡くなった後
インターネットのコメント欄で見られたのが、

西部警察は痛快で面白かった!

今ではあんなドラマは撮れない!

というコメントの数々。

 

 

僕の印象とは相当違うなぁと感じました。

 

 

そしてこれは僕の思い過ごしかもしれませんが、

この『西部警察』に対する熱気は
日本がずっと置かれている状況を象徴して
いるように思います。

 

 

それは何かと言うと、

「失われた日本人の生き方」です。

 

 

僕は今でも戦後というものが続いている
と思っています。

 

 

もちろん経済的には豊かになりましたし、
文化的にも日本は間違いなく世界の先進国です。

 

 

それでもなお、
何かが足りないと感じることがままあります。

 

 

それは何と言ったらいいんでしょうか、
現実感の乏しさとでもいうんでしょうか。

 

 

 

西部警察の話に戻るとですね、

番組に対する賞賛の声はほとんどが

憧れのスポーツカーのことだったり、
ショットガンをぶっ放したり、クルマが爆発するシーン、

そして、取り調べ中に容疑者を殴ったりなど、

 

まあそんなところが面白いと皆、言っているんですね。

 

 

確かにそれらは痛快ではあります。

 

 

でもそれと同時に何とも言えない
「虚しさ」を感じるんですよね。

 

 

そういう欲求を否定はしません。

 

 

僕もそういうものに対しての
快楽欲求はあります。

 

 

もしかすると、人一倍強いのではないかと
自問することもあります。

 

 

でもそれと同時に、
そんな快楽欲求を満たした所で、

一瞬の満足で終わってしまい、
ただただ虚しさがこみ上げてくる。

 

 

そんなことをずっと感じていました。

 

 

もちろん若い頃にこんなこと
ハッキリと言語化出来ていた
わけではありません。

 

 

ただ漠然と
何か違うよね感じていただけです。

 

 

そして歳を重ねるにつれて、

なぜそんなにも虚しく感じるのかが
少しずつわかってきました。

 

 

それはやはり戦後失われてしまった
日本人の精神性に根源があると信じています。

 

 

日本人は戦後、
それまでの日本の文化を否定し、

ただ豊かになることだけを目標に
必死に生きてきました。

 

 

もちろん先人たちの
その努力は素晴らしいものですし、

それがあったからこそ僕や僕の子供の世代は
豊かさを満喫できているわけです。

 

 

しかしその努力の裏には、

何か失ってしまったものを取り戻したい、
もう取り戻すことができない何かがある

と無意識に感じていたからこそ、
それだけ頑張れたのではないかと思うのです。

 

 

あくまで僕の個人的な見方ですが、

渡哲也さん
という俳優が本質的に持っていたものと、

ファンが求めるものとは相当な
ヒラキがあった。

 

 

そして、常にそのギャップに
揺れ動いていたとても繊細な役者さん
だったのではないか……。

 

 

 

私たちにとって
『幸せ』って一体何なのでしょうね?

 

 

もう国としての目標を持つことは
許されない国になってしまった日本。

 

 

だから、コロナのような危機が起きても
政府は何も出来ないような法律になっている。

 

 

そんな中で私たちはどのような
「幸せ」を見つけていく必要があるのでしょうか?

 

 

そしてそれは、

かっこいいスポーツカーに乗って銃をぶっ放し、
人に暴力を振るうような快楽を

ひたすら貪ることなのでしょうか?

 

 

もちろん人間には
そういう欲求もあると思います。

 

 

しかし
そうではない一面があるからこそ人間であり、

日本人の本質とはそういう精神性に
あるのだと思います。

 

 

私たちは一人一人が
「本質的な幸せ」について考えねばならない
時代に生きているのかもしれません。

 

 

 

そして、
そんなときだからこそ「幸せ」について
一緒に考える個別相談会をきゅうきょ
開催することにしました。

 

 

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