昨日、実家でふと
20代までにしていた仕事のことを
思い出してました。
30代になるまでは
沢山のバイトや
派遣社員
をしておりました。
当時
バイト先の賄いや
昼休憩
仕事と仕事の間に
食べていたものの記憶が
ありません。
おい大前
もっと早く食べろ!
口の中に押し込め!
茶で流し込め!
◯◯君はお前より2分は早く食べれたぞ!
遅いぞ!
当時のバイト先の
賄い(まかない)などで食べていたもの
それが
どんな料理だったか
どんな味だったか
全然思い出せません😆
とにかく早くしろ
と言われて
なるべく早く胃の中に入れようと
流し込むように
食べていたからです。
食べることは
ただのエネルギー、栄養補給
仕事をするために必要だが
食べている最中には価値はなく
早くそれが出来た方が良くて
10秒メシの
ウィダー in ゼリーは最強
みたいな
20代まで私がしていた仕事の世界は
「最低限の形にするまで」
が仕事の完了。
それまでを
「早くできること」
求められま
それ以上は求められない。
多少形が崩れていてもいいから
とにかく
早く出来た奴が
褒められ
遅かったら
チンタラチンタラやってんじゃねーよ!
って怒られます
「丁寧で、尚且つ
早くできることが
仕事だ」
と言われるのだが
次々としなければいけない事があり
丁寧にやっていても
仕事が遅れると
「遅かったら意味がないんだよバカ」
って怒られます
締切に対して
間に合っていないのは
遅いし
能力が低い
ということだとされる。
とりあえずの形になっていたらクリアで
時間内にこなせる数、スピードを優先
いかに早くタスクを達成できて
効率的かで
物の良し悪しを判断していました。
色や形
匂い
味
雰囲気
食べた実感
細かいところまで観る
という認知の働きも
そこに価値もなかった
そんな中で
芸術(その部類に入るもの)
をしていました。
基本的には
時間をかけて丁寧に作ったものを
お客さんに
丁寧に感じてもらう世界。
矛盾してますよね。
最短で形にすればOK
みたいなやり方で
作るものではないんです
芸術は
本当は。
とりあえずコピーできた数や
早さではなく
それでしかない一点物の臨場感
を好む世界。
クリスタライズされたものを
丁寧に味わう世界。
バイト的な仕事脳が
当たり前になっていた私は
その価値観や
向き合い方を理解するのに
何年もかかった。
とりあえずそれを形にすればいい
という
ものの作り方と
とりあえずそれを見ればいい
という
ものの見方は
同じ発想からきてます。
ちゃんと実感は
してはいない
じっくり味わって食べている人をみて
今でもイライラしたりする😆
チンタラやってて
早く出来ない奴はクソだ
みたいなのは
今でも少し残っています。
昔の自分の
ものの見方が
こべりついているんだよなぁ〜。
でも自分次第で
トレーニング次第で
思い出(💎)の
クオリティが高い人生にも
していけるはず