毎日忙しそうにしていた人が


65歳をこえた辺りから


暇になるのを沢山見てきた。




「忙しい忙しい」



まるで被害者のように


毎日そう言っていたあの人も




なんだかんだ


忙しかった日々の方が


充実してたんじゃないの?


と感じることがある。





体力や気力が


だんだん少なくなっていく


という理由と




環境が暇になっていく


という理由から



そうなってくるのだと思う。




いまの生活の維持はしつつ


なにか小さな楽しみを待って過ごす




少なくなった


刺激



生きがい


交流



に飢えてくるのだと思う。




その姿を見ていて思うのは



私があと20年経った時は



時間や自身を持て余す人には


なっていたくないなぁ〜


と思う。




ずっと


なりたいものがある!


変え続けたいことがある!


って大事だなぁと。




お金がなくて

時間がなくて

チャンスがこなくて



やりたくても出来なかった


という受け身ではなく




「やりたいことを時間をみつけて

一人でもやる人」


チャレンジがある人


でいたい。




それがあるだけで


とりあえず自分の人生は


長期的に幸せにしていける才能がある



と思うのである。




誇りを過去に持たない



没頭する対象を


いま



自分の外に持つ



評価は期待するな。




没頭できるのなら


なんでもいい


と思っている。




この時代


探せば


なんでもあるのから


自分次第。




今の自分が


「暇になったらやること」




そこに


すでに


老後のセンスが出ています