本日の祇王小学校での講演


ありがとうございました!




気持ちで感じる。


気持ちで伝える。




今日こども達に伝えたかったのは


このこと。




意味や内容で伝えるだけでは


本当のところで



自分が、感じられていないし


相手を、感じさせられない


から。



これが正しい、正しくない


を教えるより



いま自分がどう感じているのか?



という


感覚を伸ばしたい。




感覚で感じる


感覚で伝える


人。



気持ちベースの交流の中で


わかってくるもの


を信じたい。




もちろん人間社会では


「予め決められたもの」


は覚えるし



言葉や意味や形という


手段を通して




相手の気持ちを受け取ったり


相手に気持ちを伝えたりもする


わけなので




そこを知っておかないと


「共通概念でのやりとり」


もできなくなるのだが




1番大切なのは


そこじゃない



手段じゃない。




大人になると


意味で、理解して


意味で、伝える



ということに


どうしても偏ってくる




その方が正確で


早くて


結果も出やすいし


わかりやすい。




でも


そうやって人間社会的(仕事的)に


覚えてきた基準では




ただ自分の感覚、気持ちで


相手や物事を見てみる



という発想にはなりにくい




意味や方法に


固執しやすくなる



これは何か?


成功したか

失敗したか



「出来ないなら


意味がない」




みたいな発想にも


なっていきます。




その方法や

その意味のみで


目の前にあるものを


「判断するから」




差別的になっていくのでしょう


自分にも。




カテゴリーや

レベルなど


意味で他人や自分を理解し


決めつけすぎている状態は




意味や結果のみをみる


争い(証明)ゲームにも


執着もしやすくなる。




人は


人間社会の中で


安心できて、自信がもてる



「意味が良いもの


を欲しがる」




でも本当は


意味ではなく


その先にある



感覚がほしい

気持ちがほしい


のではないかな。




新鮮な感覚で


そこにある「リアル」で


受け取れてない状態




多様性とか人権とかいう問題も


たとえ法律が変わっても


解決できない部分がそこ。




障害者理解も、多様性も


意味やパターンや知識で


覚えるものでもない



そこにいるのはただ人




「自分の感覚を開いたバリアフリー」


にしないと解決しない


まず自分が。




心のバリアフリーは



意味で


分別をしていない状態





気持ち(感覚)でキャッチして


伝えてる状態



素直な気持ちを忘れないでほしい



気持ちで感じる


気持ちで伝える



心の瞳で😆




綺麗事じゃなくて


勉強した上での答え