おはようございます🌧️




今日は滋賀県


野洲市立祇王(ぎおう)小学校


にて講演です。




講演で踊るダンスは


すでにある短いソロ作品



練習さえしていけばいいので


超ラク。




一回きりの舞台のために作る作品が


どれだけコスパが悪く


産みの苦しみがあるか



考えさせられる😅




今は電車の移動中で


過去の思い出に浸っています。




私が


芸術、禅、東洋、哲学


そして日本語などを


ちゃんと勉強しようと思ったキッカケ




それは


去年出会った


落合陽一くんでした。




彼は


現代アーティスト

(今までにない、自分スタイルの新しい表現を作る人)


としての一面もあり



過去も未来もなく


古いと新しいを


融合させる。




色即是空 空即是色や


禅の「思想」を



現代的に


表現しています。




計算機自然。



現代のテクノロジー(人が作ったもの)も


自然の(世界を現す)一部であり



抽象度(視座)を高くしたら


「みな同じ」




禅(無分別)を


現代的に(落合陽一的に)


表現しています。




私は作品ダンサーなので


舞台を成り立たせるために


作品のことや共演者のことも


予習するのですが




彼の思想を調べているうちに


そこに興味を持ったのと




実際に落合くんと喋ったときに


彼が



私の作品を


「ふ〜ん、中身は浅いんだ」


みたいなニュアンスと




「大前さんは


頭が良いと思っていたけど


会ってみたらそうでもなかった」



的なところを会話をしながら


感じた部分があって😆




悔しいから


そこを解消したい


と思ったから。




とくに引っかかったのは


私の



・義足を樹に見立てた作品


・日本刀を使った作品



について


そこを感じた。




その二つが


落合くんのしてきたことに


近いものだったから



あー浅いな、と思われたんだと思う。




その後から、私の勉強がはじまる。




日本刀を扱うなら


使い方をちゃんと知らないといけない


と思い


今年から剣舞を習っています。




禅については


説明できるだけでなく


感覚で理解できるまで


勉強する。




そして最近のブログに書いているような


禅的アート思考に


なってきたわけです。




ただ、落合くんよりも


俺の方が知っているなぁ


と思った部分もあって




お客さんとのコミュニケーションを含めた


「気持ち、でつながる」


ライブの表現力。




形に残らない、感覚表現と


形に残す、思想表現は




目指す方向が


かなり違うのだなとも思った。




感覚表現者は


スポーツ選手みたいで



ライブで自分の外のものに


対応、感応する技術



そこが


一番大切なので(お勉強は苦手)


思想は浅めになりやすい。





逆に思想の表現者は


学者みたいになりがちで


自分以外の人との


コミュニケーションは下手



だと勝手に思っている。




だから


両方あったら


俺、最強じゃん😆



という理由で今に至ります。




今、落合くんと話したら



けっこう深い話ができる気がします。



また会いたいなぁ〜。