私はわりと

年がら年中

締切

が多いです。



舞台本番だったり

打ち合わせだったり

課題の提出だったり



締切が近い順に

頑張って対応しています。


まあ、みんなそうだが。



どんなに未完成でも

とにかく提出する日々。



でも思うのは

もしその締切がなかったら


おそらく

その期間

一生懸命していないし


そのための学びも

してないだろうと思う。



それくらい締切って

決断力が引き出される。



どんなにグータラな人でも

必ず提出しなければいけない

締切があると



ギリギリの一夜漬けでも

行動はしようとする。



でもその締切がなかったとしたら


急ぐ必要がないし


「とにかく決めて、とにかくやる」

という決断力も引き出されにくい。



締切があると


それを形にするのにどうしても

必要な労力(作業)

必要なお金

そこに必要な時間



という風に

強制的具体的になる

のではないかと思う。



分単位で

時間、労力、お金を

自分にとって意味あることに

捻出しなげればならないような状態は



「迷いがなくなる」

という意味で



じつは充実している状態じゃないのか?

と思う。



だから

迷いがなくなれば

じつは「方法は何でもいい」

と思っている。



昔、新聞配達をしていた時

自転車やスーパーカブに乗りながら

新聞を一心不乱に配っていた。



それをしている時は

いま何をしなければいけないのか?


その目的、感覚

やることがシンプルで

明確だから


「ただ体が感覚となる」



その時期に抱いていた

様々な思いを

その時間は

忘れることができた。



あの感覚、時間、実感が


していることに迷いのない

幸せ状態

なのかもしれないと思っている。



シンプルにこれだけなんだと思う。



締切があって

やることを

シンプルな一列に並ばせることができれば


ただ感覚の世界

になりやすい

と思う。



シンプルな一列にするために

考えて整理することが必要だが


それがもし作れたらあとは

見切り発車でも

迷いなくシンプルに

やっていくだけ。


考え「ながら」やる

というのは


生き学ぶ状態として

もはや違う

のだろうね。