今日は

最近勉強している

シュルレアリスムについて。




どマニアックな内容なんだが

この勉強は人生変える力があるから


なるべくわかりやすく

書いてみます!



なぜ人生に芸術が必要なのか?


私が思うに

その行き着くところに


シュルレアリスムがある

と思っています。



固まった思考を崩壊させて


安定した意味で捉えてきた世界を

一度分解して


別の意味と組み合わせて再構築する



それを技術化したものが

シュルレアリスムです。







違う意味どうしを組み合わせて

超現実にすることで



矛盾や違和感がうまれる。



人の思考はそこで

意味では

追えなくなり

崩壊する



そしてその根底にある

感覚(機微)だけを働かせて

「事実を捉えさせよう」

という目的がある。




現代アートには

本当はそこが

求められてると思う。



自分の表現を練って

確立していくことも必要だけど



ずっとブレずに

世界の解釈が同じだと

頭が飽きてくる😆と思う



「これはこうだ」

「私が訴えたいことはこれ」



それが具体的かつ強い

ということは


世界の捉え方が

偏りすぎている

とも言えるんです。



ブレないこだわりや

思いの強さは


その人の人生を

形や作品にしやすい反面



その形やこだわりを

崩しにくい状態

でもある。



そのことを

「美的距離が近い」

とも言ったりもするんですが



美的距離が近いほどに

その形、その意味に

執着してしまい


頭でっかちワンパターン思考に

陥って生きてしまいやすい。



作る側も、見る側も

その意味に

押し付けがましくなり


「アート自体を楽しめなくなってきます」



本来のアートって

シュルレアリスムを含んでいる

と思うんです。



シュルレアリスムとは



意味や世界の違うものどうしを

組み合わせて


あえて矛盾を含んだ

超現実をつくること

です。








・青い赤


・長さのない棒


・眼のオルゴール


・2+3=そこはかとない5



など。




これらは


人間社会では通用しない


言葉たちです。





組み合わせが


矛盾していて


意味では、捉えられない。




普通の生活では

こんな矛盾する組み合わせでは

意味での疎通ができないので



「それって、どういう意味なんですか?」

「意味が変ですよね?」



って

真面目な人は、そうなります。




意味が、わからないし

擬人化された物語にもなっていなくて

共感できないので



「わからなかった」

という感想にもなりやすい



でもそうやって

わざと抽象度を高くして


意味を矛盾させる表現方法が

シュルレアリスムなんです😆



でもそこには

世界を


固定された意味で捉えさせないため

という目的があるんです。



現実(既存の意味)ではないもの

意味がわからない

不安定なものが

そこにあると



人は

意味で捉えることを諦め


抽象的な感覚で

感じとるしかなくなる



(文化の全く違う国にいったときの感覚が近い)



シュルレアリスムの

矛盾する世界観づくりは




頭を柔らかくして

世界を、人を

意味やカテゴリなどで捉えない



抽象度を高めて

「感じられるようになる」

人生のセラピー

でもあるんです。



そして

何かを創作する才能や

理解力も



抽象化したところをキャッチして

組み合わせる力なんですが



抽象度(視座)を高くして

根底にある感覚(機微)で捉えること

ができると


人生も楽となる。



人間社会がしてきた

意味を正しく具体的に沢山覚える

とは真逆の



あえて抽象に

あえて矛盾のまま

抽象的に質のみを捉えて


形を自由に組み換えて表現する



ピカソの時代の人達が歩んできた道を

いま勉強してます。



わかんねぇ人には

まじで意味プーな話なんですが😚



もしこのことがわかったら


世界というのが

じつは人間が作った形(意味)

その中で葛藤してるんだと

気つくはず。



まじでカテゴリーとか

なくなると思うわ。



つづく。