おはようございます


青晴れ☘️




私がいつも持ち歩いている


種田山頭火の句集。




これは


山頭火自身が旅をしながら実感した


瞬間風景を


自由律句で描いたもの。





旅しながら句をつくるので


松尾芭蕉のと


よく似ていて




どこがよく似ているか?


というと



そこに禅があるところ。




例えば


松尾芭蕉の一番有名な句


といへば



「古池や 蛙とびこむ 水の音」




これと同じ発想で作った句が


これ




「百舌鳥のさけぶや その葉のちるや」



木の上にいる百舌鳥が


さけぶと(鳴くと?)


その葉(羽根?)が散った。



という景色なのですが




一つの小さな生命の動きは


世界壮大さを感じさせてくれます


(表現の王道😎)




自身の体の感覚を通して


世界をとらえた


一瞬の動きは




禅の「喝」のように


感覚世界に戻してくれます。




葉の散る音や


木を含めた景色




古池や蛙とびこむ水の音


と同じく




「瞬間の世界の美しさ」


があります。




そして


少ない単語だけで


世界が広がりやすいのは




日本語には



「読む」


のように



一語に含まれる機微(ニュアンス)


が多いから。




単語だけで


風景がわかり



組み合わせにより


現実にはありえない景色にもできるので




意味だけで捉える世界を


脱させる表現力がある。




例えば私が最近作ったのが




「せんこう花火ながれぼし

 落ちた」




みたいな表現も


作れるわけです。





アーティストは


自身の感覚的なリアクション




各々の手段で


動く景色として


表現しているわけなんですが




物語みたいに


意味が


わかりやすい形は




一歩間違えば、説明になり



意味を追うだけに精一杯になると


感覚の景色は広がらない





だから俳句は


表現の密度の勉強には


丁度いい。





観ている人が


一番感じとりたい部分は



「感覚が生まれる、密度が高い表現」




そこを


伝わりやすくするために




ホースの口を狭めるように


そこに抵抗をつくり


そこからの変化を生まれさせ




表現の密度を引き出す仕組みをつくる




そうすると


対象に対して


強い(濃い)リアクションが


生まれやすくなる




そして


その密度の高いリアクションを



体や道具にのせて発して残す


(体も道具なんだがな)




表現されたものは


音なのか


動きなのか


剣なのか



言葉なのか




一つの瞬間風景に対する


密度の高い感覚が


その表現を通して




自分以外の人にも


感じとれるものにするのが


プロとしての技術。





中身の密度を高めるには


純粋な感覚だけでなく




それを感じとり、表すための


知性も必要で




日本語は


知性の宝庫だなぁ


と思う。




世界の捉え方、表現を


クリエイティブにする。




何が言いたいのかというと、



世界を感覚で生きるには



種田山頭火は

オススメだ


という


ひとこと🤣