今日まで出雲にいて


いろいろと


自分が感じ取れるものの幅が


広がった気がします。




チューニング、ピントを


相手や何かに合わせるためには




理解できるまで


それを見る時間をとることが


必要なのだなと感じた。





対象物に対してのリアクションが


表現


だとすると




力加減や距離感など


「適切なリアクション」を


自分から引き出すためには




自分とは違うその相手を


ちゃんと感じるための前戯


チューニング合わせが


必要だと思う。




リーダーがいて


何かを教えている時間とか


一方的に学ぶ


という時間でなければ



対等な関係性なわけで




どちらかに合わせる必要がない時には


答えの押し付けは


拒否してもいい




自分の感じたこと


言いたいことを


正直に相手に伝えるのは


大事なのだが




「なぜあなたも正直にならないの!!」


という感じに


強く言われると



命令や強制されている気がして


逆にその人に対して


抵抗がおこる



本当のコミュニケーションを


避けてきた私は😆




相手に関係なく


それをすることが良いことだと思って


自己表現をこえて




相手が近くにいるのに


大声で叫ぶとか



相手が子どもなのに


力いっぱいハグするとか



みたいになるのは


自分に正直ではあるが



それは


日常では


表現力のかな?と思う。





言いたいことを出すのは全然いいし


それを遠くから見ている分には


面白いが




あなたもそのようになれ





その相手に(私に)


チューニングを合わせないまま


ちゃんと感じないまま




結果や答えに導くのは


対等なコミュニケーションとしては


まず抵抗になるよね。




自分と違うものほど


前戯(ピント合わせ、チューニング合わせ)には


時間がかかる


エネルギーをつかう。




そしてそのチューニングは


お互いがし合うもの


だと思うが




一方が


物だったり


私みたいに


自分の世界を守りたいビビりには😆




相手を


いきなり自分側に


合わせさせるスタンスは



その答えがいかに正しくても


強引だと感じてしまう。



エネルギーに溢れている人が


お節介になるのはそこ。



俺が苦手な人は


「ほらぁ、私の(俺の)言う通りでしょ!」


って大声で言い切る


リーダータイプの人。




フォーカスしているものは


ブレないが




どんなに素晴らしいものでも


それだけだと偏る




行動力があって


そのエネルギーに


自信満々のポジティブで



結果も人もついてきてるから


見た目わかりにくいんだが




コミュニケーションが


自分側


に偏っているから




じつは


目の前にいる人や物に対して




自分と同じ方向でないものに


ピントを合わせる気はない




レベルが低いもの


苦手なもの



そこには


ピントを合わせたくない




私の思う世界が最高なのだ



ゆずりたくない





結果、自分と違う人と


対峙できなくさせて


しまうんだよな 笑




まあ、相手に合わせられないのは



人間みな同じ



お互いさまってことか🤣




まあ、こちらが


目の前に何がきても


チューニングを合わせられる勇気と




こちらが相手を、感じとり続け


どんな自分になっても


対峙から逃げない人


になればいいってことか



https://youtu.be/NDqqvy2Efhw?si=Luh3KViHBh2M8kd0